fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ173

「梢は高校で教師に苛められてたからな」酒が進んでくると名城は意外な思い出話を語り始めた。梢の両親は本土復帰前からの教師で同僚が娘を苛めるとは教員家系の私には理解できなかった。逆に私は高校時代に数学が徹底的に苦手で数学の教員に苛められかけたが、間もなく叔父が別の高校の数学の教員と判った途端に優しく変節した。
「私の父は『沖縄戦で日本軍は県民を守るために命を捨てて戦ってくれた』『沖縄はアメリカに占領されたから本土よりも早く近代化された』って明言してたから、『日本軍は住民を虐殺した』『アメリカは沖縄を植民地にした』って言い触らしていた本土から来た日教組の活動家に敵視されたのよ。私は手近な標的になったのね」この話は梢と2人で八重山でも離島の学校を転勤して巡っていた父を訪ねた時に聞いたことがある。それを同級生の名城から聞くと今更のように梢の苦労を思い知らされた。本土復帰で沖縄に派遣された教員の大半は本土の教育現場が持て余していた日教組の活動家だったので、沖縄のエリートとして社会を主導することになる進学校の生徒たちを反米反日親ソ親中に洗脳するのに邪魔になる守旧派教師の娘は排除・破砕しなければならない憎悪すべき存在だったはずだ。
「お前は品行方正な模範生で俺よりも成績が良かったのに大学に行けなかったのは担任が調査票を滅茶苦茶にしたんだな」「私の場合は父が離島の分校の責任者になって教材や備品を請求しても予算をつけてもらえないから自費で購入してたの。だから兄が東京の私立大学の理学部に入っていて2人も進学させられなかったのよ」「しかし、国公立なら何とかなったどう」「琉大へ行っていたらワシと一緒に沖縄県知事の講義を聞く羽目になったな」私は2人の思い出話に参加する機会を無理矢理作って口を挟んだ。私は高校時代、妹が私立高校に入学した上、親が家を改築したため「国公立大学へ進学しろ」と命令されて進路指導部の教員に相談したところ「琉球大学なら何とかなる」と言われたことがあった。その時も「海外留学させられるか」と否定されて自宅が通える地元の私立大学を強要されたのだが、今思えば琉球大学の講義で将来の沖縄県知事の虚偽を論破するのも中々面白そうだ。
「アイツの講義かァ・・・俺も鉄血勤皇隊の生き残りのオジイや米軍基地の警備員だった親父から日本軍とアメリカ軍の実像を聞いていたから教員が言うことは全く信じていなかったよ。おまけに那覇基地の少林寺拳法部に通うようになって生身の自衛隊員とつき合うようになると、『自衛隊を殺せ』って合唱している学生運動の方が危険だって実感したんだ」「だから警察に入ったのよね」名城が沖縄県警に入署した頃、私は梢との交際を親に反対され、名城は警察官になることを別の大学の学生だった彼女に反対されていた。それにしても私と別れながら反自衛隊に走らなかった梢はやはり両親の教えを土台にして大人になったのだ。
「それでお前はこれからどうするんだ。このままモリヤとオランダで暮らせる訳じゃあないだろう」随分と立ち入った質問だが名城も同級生として長年にわたり決して幸運とは言えなかった梢の人生を気にしてきたようだ。流石に「見守っていた」とまでは言わないが。
「今のところ検察官を退官すれば石垣島で弁護士事務所を開設する予定でいるよ。波照間で日本最南端の寺を創建するのも悪くないが、社会の役に立つと言う意味では弁護士の方が必要性はあるだろう」「梢と一緒にと言うことか」「うん、佳織・・・正妻も同意しているのよ」これは自衛隊を定年退官してから梢と話し合っている構想だった。梢は佳織とも話し合って私とは離婚はしないがハワイと沖縄の遠距離別居生活に移行することを女同士で決めていた。スリランカに永住する計画は南方佛教の僧侶は女性と暮らすことが許されないので断念した。
「それは重婚になりそうだけど・・・」「あれは二重に婚姻届を出した場合で一緒に生活するだけでは該当しない。今の日本には姦通罪もないから法的な問題はない」「やっぱり弁護士先生には敵わないな」私の反論に名城は素直に敗北を認めてグラスの酒を飲み干した。
「そう言えばカラオケで唄いたい歌があったんだった」3人のグラスが空になり、水割りを作っているママさんに私が声をかけた。ママさんが仕事を中断してカラオケのメニューに手を伸ばそうとしたので私は遮るように曲名を伝えた。
「何ねェ、やっぱり島唄でしょう」「否、アリスだ。砂塵の彼方をお願いします」これは梢にも話してなかったので珍しく推理を外した。グランドヒル市ヶ谷で会った朝山元3佐=蓮床和尚から傍樹森蔵(そばじゅもりぞう)と言う元フランス外人部隊の兵士がコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニ空港で私が聞かせたこの歌で無常感を覚り、出家したと聞いている。日本にいる間に自分の唄で聞いておきたかったのだ。
「外人部隊の若い兵士は いつも夕日に呼び掛けていた・・・いつも時代は若者の夢を壊して流れていく」映像は砂漠に沈む夕日を見つめる兵士のシルエットだったが確かに胸に深く染みた。
  1. 2022/07/02(土) 13:37:31|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<7月2日・京都に嶋原遊廓ができた。 | ホーム | 第115回月刊「宗教」講座・南方佛教「スタニパータ・ダンマパタ」シリーズ第15弾>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7752-0fee7250
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)