2019年の明日7月6日にスイス空軍のアクロバット・チーム=パトルイユ・スイスが展示飛行する場所を間違える失態と言うよりも珍事が発生しました。
この日、パトロイユ・スイスは領土の北の端でドイツとフランスの境界線に接するバーゼル・ランド準州のランゲンフルックで開催されていたスイス人パイロットの先駆けとしてユングフラウヨッホ(標高4158メートル)の上空を複葉機で通過する偉大な業績を遺しながら1916年に飛行機事故で亡くなった英雄・オスカー・ビデーさんの没後100周年を記念する式典で後進として華麗な演技を展示する予定でした。ところがスイス中央部にある空軍唯一のマイリンゲン基地を離陸して展示会場に向けて北上していた6機のF-5Aタイガー攻撃機のパトルイユ・スイスは先頭を飛行していたリーダーが地上で盛大な行事が開催されているのを見つけてここをランゲンフルックだと思い込み、展示飛行を開始してしまったのです。しかし、そこは6キロ手前のソロトゥルン州のミュムリスヴィールで開催されていたのは地元ヨーデルの歌合戦でした(爆音は迷惑だったはず)。
パトルイユ・スイスは1964年に編制されたスイス空軍のアクロバット・チームで国内だけでなくヨーロッパ各地でも展示飛行を実施していますが(2016年6月11日にはオランダのレーワルデン基地の航空祭前日の準備練習中に空中衝突墜落事故を起こしている)、パイロットまで民兵と言う特殊事情からリーダー以下の参加要員は臨時編成で、日頃はFA-18ホーネット戦闘攻撃機を操縦していながらFー5Eタイガーであらためて演技の練習を繰り返してから本番に臨むのです。
また使用しているF-5Eタイガーは老朽化により戦闘機としては用途廃止されて「空中戦技術の研究と訓練」と言うパトルイユ・スイスの存在目的(航空自衛隊のブルー・インパルスも制式には戦技研究班と言う名称だった)に合致しなくなってFA-18ホーネットの取得と配備が進んで必要機数が確保できるまで活動停止する予定だったところを攻撃機に変更して使用を継続している状態で旧式の航法装置には衛星情報などで位置を割り出す機能はついていませんでした。
ここで問題になるのは第2次世界大戦中、連合国はイタリアからのドイツ都市空襲で永世中立国・スイスの領空を不法に通過させて爆撃機を撃墜されるとスイスの都市を空襲する報復を繰り返しましたが、スイスの抗議には「ドイツの都市と誤爆した」と回答して意図的な攻撃であることを認めませんでした。しかし、スイス空軍のパイロットが展示場所を間違えてしまうと誤爆と言う弁明も虚偽と決めつけることができなくなりそうです。
一方、後輩の展示飛行の花を添えられ損なったオスカー・ビーカーさんは1891年に会場のランゲンブルックの商人の子供として生まれて1912年にフランスで飛行技術を学び、帰国後は峠の上空を越える飛行を繰り返して航空路を開拓し、1913年7月13日には機体を軽くするため必要最小限の燃料だけでベルンを離陸してユングフラウヨッホの10の峰を越えてイタリアのミラノに到着する飛行を達成した偉大な先駆者ですから後進のうっかりミスには苦笑していたことでしょう。
- 2022/07/05(火) 15:24:14|
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