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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

「東流西流」却下原稿7

これは内情暴露だそうですが、「東流西流」では色々な職業の方がかなりきわどい体験談を語っているにも関わらず航空自衛隊は許されないようです。
丁度、今夜の「空飛ぶ広報室」はそんな話みたいですが。

 大韓航空機撃墜事件
昭和五十八年九月一日、早朝に非常呼集がかかりました。ただ、そのアナウンスには、いつもの「訓練」の符合がなく、テレビでは「大韓航空機がサハリン沖で消息を断った」と言うニュースが流れていましたが、「民間旅客機の遭難」と今朝の非常呼集は結びつきませんでした。その後、ソ連軍は全国の航空自衛隊の基地にミサイルを発射する態勢で接近を繰り返す威示行為を繰り返し、南西航空混成団では米空軍の主力が三沢に展開した後の沖縄周辺空域の防空能力の低下を補完するため、可動の戦闘機を武装した上、待機させる緊急発進増強態勢をとり、急速整備を実施して全機を可動状態にしました。それと同時に基地の警備態勢を強化し、弾薬、ミサイルを搭載した戦闘機を並べたエプロン地区では空曹(下士官)が小銃と実弾を持って勤務につきました。ある夜、野僧は滑走路側のポストに配置されましたが、夜間飛行のボーイング747が着陸し、目の前をタクシングして行きました。窓からは明りが漏れていて旅客のシルエットが見えます。
「あの人たちは今、日本で何が起きているのか知らないんだな・・・撃墜されたのも747だった」そう思うと、戦闘態勢にある自分たちが目の前の平和な風景とは別世界の住人のようでした。
(下関市・托鉢僧)6月12日・7回予定

本来はこれに続けるつもりだったのですが、同様の理由で却下でした。
若い世代へのエールにもなると思ったのですが。と言ってもあの頃の若い連中はもう40代ですね。

 湾岸戦争
平成二年、湾岸戦争が勃発した時、小牧の第5術科学校の要撃管制幹部課程に入校していました。当時の海部内閣は財政支援で対応し、米国の非難を受けて巨額の追加支援に、そして二転三転、右往左往、優柔不断、右顧左眄の末、結局は「輸送機による難民輸送」と言う妥協案を決定しました。政府から小牧・第1輸送航空隊に対して輸送機派遣の準備命令が発令された日、基地は異様な静寂に包まれました。派遣要員の選定で幹部たちは当初、「ベテランは了解してくれるだろうが、嫌がる若手をどう説得するか」を心配していましたが、実際の選任作業を始めると若手は「外国軍がやっていることを自衛隊もやるのは当然です」と志願し、中には任期満了退職する予定で就職先が決まっていた空士までが「同期が派遣されるなら俺も」と退職を取り消して志願することも少なくなかったそうです。一方、ベテランの方はかえって「定年まであと数年なのに今更戦死できるか」と断る者が多く、さらに同じ小牧基地でも派遣には直接関係のない第5術科学
校へは学生の親から「息子は派遣されるのか」との問い合わせが殺到し、中には泣きながら「退職させる」と申し入れる母親もあったそうです。「今の若者は素晴らしい」との第1輸送航空隊司令の感動のコメントに野僧も同感です。
  1. 2013/06/09(日) 00:29:05|
  2. 「東流西流」却下原稿
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