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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

やはりフォーク歌手・山本コウタローさんの逝去を悼む。

7月4日に「帰ってきたヨッパライ(ザ・フォーク・クルセーダーズ)」や「ケメ子の歌(ザ・ダーツとザ・ジャイアンツ)」と並ぶ昭和のコミック・ソングの代表曲「走れコウタロー」を昭和45(1970)年に大ヒットさせ、昭和49(1974)年には青春ソングの「岬めぐり(山本コウタローとウィークエンド)」もヒットさせた山本コウタローさんが脳内出血で亡くなったそうです。73歳でした。
新聞やテレビは山本さんの代表曲がコミック・ソングや青春ソングだったためアイドル的フォーク・シンガーの先駆けと紹介されていますが、やはり反戦歌から始まった日本式フォーク・ソングの歌手であり、学園紛争真っ只中の1970年前後に大学時代を過ごしているので死ぬまで反原爆闘争と環境保護活動に熱心だったようです。
山本さんは昭和23(1948)年に東京都千代田区で生まれ、日比谷高校では東京大学志望でも学園紛争で受験できず一浪して上智大学経済学部に進学しますが、やはり当初の志望を諦められず当時は東京大学の代用とされていた一橋大学社会学部に転学しました。すると日比谷高校からのフォーク・バンドのソルティー・シュガーとして発売した「走れコウタロー」が大ヒットして日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。ちなみに「ソルティー・シュガー」と言うバンド名は高校時代のメンバーの佐藤敏夫(さとうとしお)くんが卒業時に脱退したため名前を残そうと「さとうとしお=砂糖と塩=ソルトとシュガー」の駄洒落にしたのです。また曲名と主人公の馬の名前「コウタロー」は山本さんの本名が山本厚太郎なので作詞したメンバーが借用したようです。
昭和46(1971)年にソルティー・シュガーは解散し、昭和47(1972)年に一橋大学を卒業しますが卒業論文は「誰も知らなかったよしだたくろう」でした。卒業後はソロ歌手として活動し(二浪してまで一橋大学に入学した意味が判りません)、昭和49(1974)年にフォーク・バンド・山本コウタローとウィークエンド(昭和51年以降はウィークエンドのみ)を結成するとデビュー曲の「岬めぐり」が今度は青春ソングとしてヒットしました。野僧は昭和52(1977)年に山奥の現世の三悪道から海辺の蒲郡高校に進学したため朝、列車の窓から岬が見えると無意識にこの歌を口ずさんでいましたがフォーク・バンドを結成している同級生たちからは「それは歌謡曲だ」と馬鹿にされました。実際、ラジオのDJやバラエティー番組の司会、俳優などの芸能人として活動していましたが、昭和61(1986)年に南高節(こうせつ)さんを誘って収益金を広島市に被爆者用の老人ホーム建設資金として寄付する「ヒロシマ・ピース・コンサート」を新型コロナ・ウィルス感染症で中止になった2019年まで開催してしました。
その後は環境問題にも関心を持ってイギリスに留学しましたが、ヨーロッパ式独善的環境保護運動の日本における広告塔になっただけのようです。
昭和62(1987)年からは32年間栃木県小山市にある白鷗大学の教壇に立ち、2019年には名誉教授になっています。高校時代の愛唱歌「岬めぐり」を聴きながら冥福は祈ります。
  1. 2022/07/19(火) 12:55:12|
  2. 追悼・告別・永訣文
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