昭和47(1972)年の明日7月21日に犯行時18歳の少年が東京都渋谷区の銃砲店・ロイヤル鉄砲火薬店に立て篭もり、警官隊と銃撃戦を繰り広げた渋谷ライフル魔事件の犯人・片桐操死刑囚の刑が宮城拘置所で執行されました。
片桐死刑囚は昭和22(1947)年に東京世田谷区で父親は戦時中に徴兵を受けて陸軍上等兵になり、戦後は事業を起こして成功していた裕福な家庭の4人兄姉弟の末っ子として生まれました。小学生の頃から銃器や兵器に強い関心を示して軍事雑誌「丸」を熱心に熟読していましたが、父親は軍歴を有することもあって反対はせず、むしろ体験談や銃器の知識を語って興味を煽っていたようです。そうして中学生になると当時4500円(現在の18000円に相当する)の玩具の銃を買い与えました。その銃を手にして大喜びしている片桐死刑囚に父親は「大人になれば10万円(現在の40万円程度に相当する)くらいの銃は何時でも買ってやるよ」と約束したそうです。その一方で父親は「間違っても銃で人を殺すな。そんなことになれば殺すよりも先ず自分が死ね」との教訓を与えていますから単なる馬鹿親ではなかったようです。
ところが7歳年上の姉は自衛隊生徒=少年工科学校を受験して失敗した失意の弟を励まそうと中学校の卒業祝いとして35000円(現在の16万円程度に相当する)の本物のライフル銃と4000円の照準眼鏡を自分名義で購入して与えたのです。姉心だとしてもかなり危険な贈り物でした。
卒業後は自動車の整備工見習いとして働き始めましたが長続きせず、見習いを転々としながら18歳になると、先ず40日間の休暇を取って姉からもらったライフル銃を自分名義に換え、渋谷区のロイヤル鉄砲火薬店に行って4万円の水平2連式散弾銃と2000円の銃ケースを購入しました。ところが念願の銃を手に入れると仕事を辞めてしまい、自室で銃の手入れをして時間を過ごすようになりました。
事件は昭和40(1965)年7月29日に現在の神奈川県座間市の山林で雀を散弾銃で射っているところを警察官に職務質問されて胸部に発砲、倒れたところを銃床で頭を連打して殺害し、応援に来た別の警察官にも発砲して重傷を負わせたことから始まりました。そして警察官の拳銃を奪うと通りがかった乗用車に乗り込んで逃走し、渋谷区のロイヤル鉄砲火薬店に向かったのです。こうして午後6時頃から従業員3人を人質にして店内に立て篭もると包囲した600人の警官隊と銃撃戦を開始し、約110発を発砲して警官隊や報道陣、3000人の野次馬を含む16人に負傷を負わせましたが、店内に催涙ガスを射ち込まれると午後7時20分に女性2人を抱えて出てきたところを逮捕されました。
裁判では1審の横浜地方裁判所が少年であることから無期懲役の判決を下すと「銃への関心は今なお尽きない。将来、社会に出て再びこのように多くの人々に迷惑をかけられないような刑、死刑にして欲しい」と嘆願したこともあり2審の東京高等裁判所では死刑判決になり、昭和44(1969)年10月2日の最高裁判決で死刑が確定しました。
「皆さん、ありがとうございました。お先に失礼します」が最期の言葉だったそうです。
- 2022/07/20(水) 15:03:30|
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