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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月28日・第2尚王氏初代・尚円王が崩御した。

中国明の元号・成化12年=日本の元号・文明8(1476)年の明日7月28日(太陰暦)に1406年から1469年までの63年間7代にわたって沖縄本島と周辺の島々を支配してきた尚王氏(分類上、第1尚王氏と呼ぶことが一般的)を追いやって即位し、第2尚王氏を成立させた尚円王が崩御しました。
第2尚王氏が編纂した琉球国史によれば尚円王は中国明の年号・永楽13年=日本の年号・応永22(1415)年に沖縄本島北西部の離島・伊是名島諸見村の農民の息子として生まれました。このため首里城の守礼の門の脇には国王が伊是名島の祖先の霊に向かって礼拝するための石造りの御嶽(うたき=祠)があります。
両親の農作業を手伝いながら成長して金丸と名乗りますが、20歳前後で両親を相次いで亡くしたため田畑を受け継いで5歳の弟も養うことになりました。ところが島が干ばつに見舞われても金丸の田畑だけは作物が実ったため村で共同使用している水源の水を盗んだとの疑いを受け、やむなく24歳だった中国明の元号正統3年=日本の元号・永亨10(1438)年に妻と弟を連れて島から逃げ出して沖縄本島北部の国頭村に移住しますが(この経緯は第1尚王氏初代・尚巴志王の祖父の伝承に類似しているので後世の模倣とする説が根強い)、やはり余所者として迫害を受けたため27歳で第1尚王氏の王都になっていた首里に移住すると国王の息子に仕官することができました。
すると当初は最下級の奉公人でしたが抜きん出た才覚を発揮したため次々に地位を上げ、中国の元号・景泰3年=日本の元号・宝徳3(1452)年には38歳で家臣の最高位に列せられ、仕えていた息子が国王に即位すると西原(沖縄本島中部=普天間基地辺りの太平洋側)の間切(まじり=行政単位)の領主になりました。
その後も国王の絶大な信任を得て地位はさらに高まり、中国明の元号・天順3年=日本の元号・長禄3(1459)年には貿易と外交・財務・防衛・港湾管理・造船を担当する重職に就任しましたが翌年に国王が崩御すると息子が即位し、金丸さまが帝王学を伝授することになったのです。しかし、若い国王は血気にはやり、奄美遠征を強行するなど無謀な暴挙を繰り返したため家臣の信頼を失い、中国明の元号・成化4年=日本の元号・応仁2(1468)年に54歳で金丸さまは領地である西原の屋敷で隠棲してしまいました。
ところが翌年に息子も崩御すると家臣たちは幼い国王の息子ではなく金丸さんを国王に擁立することを決定し、首里で尚円王に即位して中国清の元号・光緒4年=日本の元号・明治12(1879)年に日本政府が琉球王国への廃藩置県の適用を宣言するまで続いた第2尚王氏の410年間の歴史が始まりました。
現在の沖縄では琉球大学を中心とする歴史学界が史実に政治的解釈を加えて滅茶苦茶にしているため金丸さまの即位も従属する家臣を使った無血クーデター、国王を毒殺した王位乗っ取りなどと邪推していますが、農民の倅の木下藤吉郎が天下人の豊臣秀吉になった本土で人気の英雄譚の沖縄版=予告編と理解すれば素直に学ぶことができるでしょう。
  1. 2022/07/27(水) 14:52:44|
  2. 沖縄史
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