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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月28日・フランス革命を暗転させた元凶・ロベスピエールが処刑された。

1794年の7月28日に正義感に溢れる勤勉実直な弁護士としてフランス革命後の民主政権を主導しながら革命の波及を恐れる周辺国からの圧迫で政権運営が行き詰ると冷酷非情な独裁者に一転して反対派の粛清を繰り広げたマクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエールさんが弟や20名の同志と共にギロチンで処刑されました。さらに翌日には70名、翌々日には12名が同じギロチンで処刑されています。
ロベスピエールさんは1758年にフランス北部の地方都市アラスで26歳の弁護士の父親と22歳のビール酒造の娘の母親の長男として生れました。両親が結婚した時に新妻=母親は妊娠5ヶ月でカソリックの頑なな戒律が社会規範になっていた時代では許されざる不道徳な子供であり、必ずしも祝福されて生まれたのではありませんでした。それでも両親は子作りに励み1760年には妹、1761年にも妹、そして1763年には弟が生まれますが、1764年に5番目の子供を出産・分娩中に母親が急逝してしまいました。
すると優秀な弁護士だったはずの父親は哀しみから逃れるためなのか葬儀にも出席せず、母親を失った子供たちを放棄して東へ15マイルのオワジ=ジ=ヴェルジェに荘園を持つ貴族の顧問弁護士になり、2度と子供たちと暮らすことはありませんでした。そして妹2人は父方の叔母に引き取られ、6歳と1歳の兄弟は母方の実家で叔母に育てられることになりました。ロベスピエールさんの情愛を理解しない偏狭な人間性はこの家庭の崩壊が原因と主張する研究者もいますが、妹たちが暮らす家は徒歩で行ける距離であり、祖父母と叔母も亡き娘・姉の忘れ形見として大切に育てたようですから強いて言えば頭脳と一緒に父親の性格を色濃く受け継いだのかも知れません。
ロベスピエールさんは成長すると「父親と同じ弁護士になって妹弟を養おう」と勉学に励んで学校では優秀な成績を収めるようになり、12歳になると王立の高等教育学校に入学するためパリへ旅立ったのです。そして8年間の寮生活を送りながら高度な学識と厳格な規律心を身につけ、卒業後はソルボンヌ大学に進学して弁護士の道に踏み出しました。その後はアラスで弁護士事務所を開設し、地方の有能な弁護士としての地位を固めた頃、フランスには革命の機運が勃興し、絶対王制に対抗する三部会が設立されると議員に当選して、革命後の政権での主導的立場を獲得しました。そして弁護士の立場から民主主義原理に基づく革命政権の確立を目指しますが、国内の反対派と国外の反革命諸国の圧迫で内憂外患の状態に陥り、足場固めとして徹底的な粛清を始めたのです。しかし、フランス革命は指導者もなく民衆や兵士の蜂起が連鎖的に拡大していった一揆的な内乱だったため立場ごとに異なる意見を調整・統一する機能が欠落していて、反対派と言う尺度で判定されれば個別の案件で該当して処罰の対象になってしまい、結果的におびただしい人数が処刑されてロベスピエールさんは恐怖政治の元凶になってしまいました。
1794年7月27日にロベスピエールさんが議会で演説すると反対派が「暴君を倒せ」と罵声を浴びせ、これを受けてパリ市内各所で暴動が発生し、逃げ込んだパリ市庁舎で逮捕されて革命裁判所で死刑判決を受け、翌日に執行されたのです。
  1. 2022/07/28(木) 14:24:09|
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