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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月29日・初めて世界を一周した日本人・津大夫の命日

文化11(1814)年の7月29日は太平洋上で遭難してアリューシャン列島(千島列島ではない)に漂着し、ロシア人に保護されたためシベリアを横断してサンクトペテルブルグに送られ、そこから予定外に日本人初の世界一周を達成して帰国することになった津太夫さんの命日です。ただし世界一周した日本人は4名なので津太夫一行になります。
津太夫さんは延享元(1744)年頃に現在の宮城県塩竈市の寒風沢島で生まれました。成長すると石巻と江戸を往復する御用船の水夫になり、若宮丸の水主(水夫の長で船頭=船長ではない)になっていた寛政5(1793)11月の航海で現在の福島県いわき市の塩谷崎沖で暴風に遭って漂流し、積荷の米を喰いつないで寛政6(1794)年5月にアリューシャン列島のウラナスカ島に漂着しました。ここで船頭は病死しています。
当時はアラスカがロシア領だったためロシア人に保護され、寛政8(1796)年12月に極東地域の行政庁があるイルクーツクに到着すると天明2(1782)年に漂着した大黒屋光太夫さんの神昌丸の水夫でロシア人女性と結婚して洗礼を受けたため帰国せずに日本語学校の講師になっていた新蔵さんと凍傷で片足を失って残った庄蔵さんと対面しました。ここで新蔵さんから洗礼を受けて日本語学校の講師になることを勧められ、14名の一行のうち4名が応じました。すると4名には住宅と高額の給与が支給されるようになった一方で断った津太夫さんたち10名は最低限の生活費だけになり、漁網の修繕や漁師の手伝いなどで生活費を稼ぐことになりました。そんな中、寛政11(1799)年2月に73歳のもう1人の水主が病死して津太夫さんが最年長になりました。
亨和3(1803)年3月に皇帝から出頭命令が届き、洗礼を受けて残留を決めていた4名を含む13名でシベリアを馬車で横断しましたが途中で3名が体調不良で引き返したため10名が4月27日に夏(雪がない季節)の首都・サンクトペテルブルグに到着しました。そして5月16日に皇帝の謁見を受け、帰国を希望した津太夫さん、儀兵衛さん、左平さん、太十郎さんの4名の帰国が許可されたのです。
ところが大黒屋光太夫さんはシベリアを引き返してオホーツク海から千島列島、根室、函館に向かったのに対して津太夫一行は遣日使節のレザーノフさんが率いるロシア初の世界一周探検航海の船団=艦隊で、6月16日にサンクトペテルブルグのクロンシュタット港を出航しました。余談ながらこの出航待ちの間に貴族の好意で熱気球に乗っていて津太夫一行は初めて空を飛んだ日本人にもなりました。
船団は大西洋を南下してイギリスに寄りましたが津太夫一行はアジア人の奴隷と思われて上陸は許可されませんでした。さらに大西洋を南下して南アメリカの最南端・マゼラン海峡を通って太平洋に出るとポリネシアのマルキーズ諸島に停泊するなど太平洋諸島を探検しながら文化元(1804)年7月にカムチャッカ半島のペテロパウロフスクに到着しました。そして9月4日に長崎に入港して12年ぶりに帰国を果たし、全ての手続きと取り調べを終えて寒風沢島に帰郷したのは文化3(1806)年2月下旬でした。
津太夫さんは文盲だったこともあり、豊富な海外事情をもたらした大黒屋光太夫さんほど評価されていません。
津太夫一行津太夫(「風雲児たち」より)
  1. 2022/07/29(金) 14:42:49|
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