ダンマパタ第160句「己れこそ己れの拠辺(よるベ)、己れを除きて(おきて)誰に拠辺ぞ、よく整えし己れこそ真(まこと)得難き拠辺なり」
同第165句「自ら悪を為さば自らが汚れ、自ら悪を為さざれば自らが清し、清きも清かざるも自らのことなり。他のものによりて清むることを得ず」
この順番を無視した不可解な組み合わせはこれが野僧も修行に励んでいた某宗教法人で「聖句」として唱和する根本教義になっているからです。その宗教法人とは「金剛禅少林寺拳法」のことで、本名・中野理男=偽名・宗道臣=尊称・開祖が敗戦直後、占領軍の武道禁止令の中で「中国で達人に学んだ=後継者と認められている」と自己申告していた武術(実際は突き蹴りの打撃技の剛法は香港功夫=カンフー風でも関節技の柔法は出身地の岡山県に伝承する不遷流柔術に共通する技が多い)を立ち上げるために「金剛禅」と称する佛教の宗教法人として届け出たのです。そして武術をインド伝来の健康法・「易筋行(えっきんぎょう)」と呼ぶ体操・舞踊の健康法との詭弁を弄していたため宗教法人としての体裁を整える必要に迫られて親交があった京都の臨済宗の坊主の入れ知恵でダンマパタ=法句経から借用したのがこの「聖句」です。また金剛禅少林寺拳法では「聖句」に続きこちらは教育勅語を改作したような「道訓」も唱えましたが、現在の少林寺拳法は「教えは全て開祖の独創」としていて最初期の著作物で紹介しているこの逸話も否定しています。
野僧は航空自衛隊に入って那覇基地に赴任すると少林寺拳法那覇航空隊支部に入部しましたが、最初の練習でこの「聖句」を耳にして「これは法句経の160と165ですね」と言うと有段者たちが妙にいきり立って「これは開祖が定められた聖句だ。伝統佛教の経ではない」と頭から否定したのです。結局、少林寺拳法は「拳禅一如」「力愛不二」「不殺活人」「剛柔一体」「主守攻従」「組手主体」と言う武術としての特色を無理やり宗教に持ち込んでいるため、伝統的佛教の精神の救済を「力の裏づけがなければ現実の役には立たない」「暴力に対しては無力」と否定していて野僧が入部した頃には開祖が死んで宗教色を薄めのることに躍起になっていたので伝統的佛教を学んでいる人間は「言葉=頭で少林寺拳法を理解する異端者」と毛嫌いする武道的体育会系気質が顕著になっていたようです。
その一方でこの2句は南方佛教の教義の本質を表していてこれを勧めて「聖句=根本教義」にさせた開祖の友人の臨済宗の坊主は大したものです。現在の南方佛教は釋尊を礼拜対象にしていますが、在世の頃には礼拜よりも「拠辺となるよう己れを整える」修行と持戒、参学に専念していて、それをそのまま日本に持ち込んだのが病んで気弱になる前の道元禅師の曹洞宗でした。道元禅師は曹洞宗を始めた頃には「只管打坐」の坐禅専一を教義としていましたが、無理を重ねて身体を病むと大佛寺=現在の永平寺を捨てて京都での療養生活に入り、その頃には妙法蓮華経にすがるようになっていきました。
また「自ら悪を為さば自らが汚れ」も東アジアの大乗佛教では始めから佛像と法具、学問的教義と戒律、儀式として伝来・受容したため如来菩薩の加護を信仰目的にしましたが、南方佛教では「因果応報」の理を日本的な運命論ではなく「悪い結果には悪い原因があった」と自らを戒める一方で「好い結果が欲しければ好い原因を作れ」と自主自立・自助努力を説いています。そのため野僧は少林寺拳法の「聖句」とは関係なく南方佛教式念佛として朝課では160句、晩課では165句を勤経の最後に唱えていますが、晩課の終りに165句を唱えると江田島の海軍兵学校と海上自衛隊幹部候補生学校で課業終了時に唱えられてきた「五省」に通じるところがあります。
道訓
道は天より生じ、人と共に由る所とするものなり。その道を得れば、以て進むべく、以て守るべく、その道を失すれば、即ち迷離す。故に道は、須臾も離るべからずと、いう所以なり。人生まれて世にある時、人道を尽すを貴ぶ、まさに人道に於て、はずる処なくば、天地の間に立つべし。若し人あり、仁、義、忠、孝、礼の事を尽さざれば、身世に在りと雖も、心は既に死せるなり、生を偸むものとゆうべし、凡そ人心は、即ち神なり佛なり、神佛即ち霊なり、心にはずる処なくば、神佛にもはずる処なし、故に一動一静、総て神佛の監察する処、報鶯応昭々として、毫厘も赦さざるなり、故に天地を敬い、神佛に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国法を守り、師を重んじ、兄弟を愛し、朋友を信じ、宗族相睦み、郷党相結び、夫婦相和し、人の難を救い、急を援け、訓を垂れて人を導き、心を至して道に向い、過を改めて自ら新にし、悪念を断ちて、一切の善事を、信心に奉行すれば、人見ずと雖も、神佛既に早く知りて、福を加え、寿を増し、子孫を益し、病減り、禍患侵さず、ダーマの加護を得られるべし。
教育ニ関スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名御璽
五省
一、 至誠に悖るなかりしか
一、 言行に愧ずるなかりしか
一、 気力に欠くるなりかしか
一、 努力に憾みなかりしか
一、 不精に亘るなかりしか
- 2022/08/01(月) 14:05:35|
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