「それは本当か、いくらなんでも保全が緩すぎるだろう」岡倉が職場=日系人向け雑誌「ウィクリー・ジャパン」編集部に戻り、コンクリート投下弾の開発の進捗状況を報告した後、雑談的に友人の中佐から聞いた話を持ち出すと担当を外れても北朝鮮と韓国の情報を確認している杉本がパソコンの前で茶化すように反応した。
「俺もそう思ったから報告にはしなかった。それでも雑談のネタとしては面白いだろう」「確かに有り得る話ではあるが、奇襲攻撃は秘匿が鉄則だからな」杉本は今更言う必要がない軍事常識を口にするとパソコンに向き直した。そこにリンゾーとジュウゾーが近づいてきた。2人はそれぞれのパソコンで過去の情報活動の記録を読んでいたのだが夢中になっていて岡倉と杉本の会話は聞き逃してしまったようだ。情報要員は集中力よりも意識の分散が必要で、岡倉は少年時代に入り浸っていた松念院の住職から手ほどきを受けた坐禅で意識を消去する瞑想法が身につき、幹部候補生学校で同期のモリヤと通った久留米市内の禅寺の坐禅会で磨きをかけた。そのためモリヤとアフガニスタンに潜入した時には危険に遭遇しても2人とも意識は他人事で淡々と対処していた。ニューヨークでこの若手2人にそのような境地を身につけさせる方法は思いつかないが松山1佐なら何とかするはずだ。
「その友人は島村さんの本業は知っているのか」「一応、自衛隊OBの雑誌記者と言うことにしているよ」「と言うことは観測気球の可能性が高いな」松山1佐は若手2人が好奇心を全開にして聞いているのを苦笑しながら見回して常識的な評価を述べた。それにパソコンを見たまま杉本がうなずいた。杉本の技量を見れば超人的な集中力でパソコンを操作しているとしか思えないが実際は真逆で、こうして操作中も離れた席で交わされている会話に反応するのだ。
「ホワイトハウスとすれば北朝鮮への武力行使の作戦計画の存在が漏れることで反日デモが過激化すれば鎮圧のために各州知事に警察や州兵の本格投入を指示できる」「北朝鮮が防御態勢を強化するリスクは考えないんですか」「アメリカにとっては北朝鮮空軍なんて映画『ファイナル・カウントダウン』の世界なんだよ」後任のペルシャ語担当者のリンゾーの質問には先任者の岡倉が答えたが、原子力空母・ニミッツが真珠湾攻撃前夜のハワイ沖にタイム・スリップしてFー14トムキャットがレシプロ機の零式艦上戦闘機と空中戦を行う映画「ファイナル・カウントダウン」は1980年公開なので若手2人は生まれていない。確かに判りやすい例えだったが強いて言えばイージス護衛艦・みらいがミッドウェー海戦中にタイム・スリップするかわぐちかいじの劇画「ジパング」の方が2000年から2009年の連載なので読んだかも知れない。単行本では全43巻の長編だ。
「北朝鮮空軍はミグ21からミグ19、ミグ17まで運用しているが、ミグ23を数機、ミグ29も数機保有しているよ」「ミグ17は朝鮮戦争でFー86Fと戦ったノーズ・インテイク(前方に空気取り入れ口がある)の骨董品だろう」「ミグ21もノーズ・インテイクのデルタ翼だぞ」岡倉がどうしても思い出せなかった北朝鮮空軍の戦闘機を杉本が解説してくれた。ミグ29であれば航空自衛隊のFー15と同世代だがかなり遜色があるらしいのでアメリカ軍のFー22やFー35では勝負にならない。しかも北朝鮮は核兵器と弾道ミサイルの開発で中国との軍事協力を強化しているためロシアは戦闘機の譲渡を渋るようになっていて保有機数は軍事パレードで展示飛行する片手分だけと言われている。現在のロシアと中国は軍事同盟化しているから、それで最新鋭戦闘機を手に入れても飛行訓練をやる燃料が確保できないのではないか。ただし、ウクライナ侵攻の経済制裁の在庫を投げ売りしてもらえば問題ない。
「それから北朝鮮はスホーイ25も数機持っているんだ。あれは優れ物の攻撃機だが展示飛行に華を添えるためのお飾りだろうな」結局、これでは岡倉がアメリカ軍と北朝鮮軍の時代格差を「ファイナル・カウントダウン」のFー14トムキャットと零式艦上戦闘機に例えたことと大差がない。若手2人は混乱しただけだった。
「しかし、上手くやれば北朝鮮にいる拉致被害者の現在の様子を確認できるかも知れないな」ここで松山1佐が意外なことを言い出した。すると杉本は即座に理解し、岡倉は数秒後にうなずいたが若手2人は口を開けて顔を見合せた。
「王宮も攻撃目標だと偽情報を流せば拉致被害者を人間の盾にする可能性がある。日本国内の同情論を煽るためには拉致家族に被害者本人と確認させなければ意味がない」「だから何ができるかと言えば何もないけどな」杉本と岡倉の解説に若手2人は唖然として開けている口をさらに広げた。この偽情報は第2次世界大戦末期、日本の本土決戦に介入することを画策していたスターリンの指令を受けたアメリカの工作員がラジオの日本語放送で「天皇を戦犯として処刑する」と台本にない言葉を流して降伏を阻止しようとした手法にも通じる。
- 2022/08/03(水) 14:19:09|
- 夜の連続小説9
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