「鈴鹿山脈17番に不法侵入者です」夕方に安川2尉たちが松本を出発し、中央自動車道の恵那山トンネルを抜けて岐阜県に入った頃、四日市市の中部電力高圧電線監視所では関西地区への電力を供給している高圧電線の監視カメラに不審な男たちが映り、中部電力の監視員が久居の第33普通科連隊から派遣されている坪井3曹に声をかけた。坪井3曹は赤外線の画面でフェンスに取りつく3人の人影を確認すると専用電話で連隊指揮所に報告した。同時に中部電力の監視員も会社の上層部に連絡し、送電の緊急停止を要請した。17番の鉄塔は鈴鹿スカイラインに沿って並ぶ高圧電線の1つで道路から最も近い位置にある。人影がヘルメットをかぶっているところを見るとおそらくバイクで接近し、路上駐車して現場に侵入したようだ。
「警告を実施します」「はい、お願いします」「高圧電線の柵内に侵入している3名、我々は君たちの存在は把握している。直ちに退去せよ。応じなければ警護物件保護のため武器使用権限を行使する」坪井3曹は自分の机の上に並べてあるクレイムアの起爆スイッチから番号の物を選び、マイクの前に置いてある台本通りに警告を与えた。平時の警察業務ではないので秘密保全を優先してこちらの身分は明かさず必要最小限の内容だ。
「反応しませんね。クレイムアの恐ろしさを知らないんでしょうか」「待てよ・・・コイツらがかぶっているのは鉄鉢(てっぱち=鉄帽=軍用ヘルメット)じゃあないか。着ているのもダウン・ベストじゃあなくてアーマー・ベスト(軍用防弾チョッキ)だ」カメラに映っている人影が警告に反応しないのを見て困惑した監視員は素人の推理を口にしたが、坪井3曹は画面を凝視して先ほどは気がつかなかった新事実を発見した。3人がかぶっているのはバイク用ではなくミリタリー・ショップで販売している本物の軍用ヘルメットだ。そうなると着ているのもアメリカ軍のボディー・アーマー・ベストだろう。クレイムアは一定方向に火薬で鉄球を噴射するため至近距離では爆風も加わって攻撃対象を制圧できるが、射界から外れれば急速に威力が減少し、軍用ヘルメットと防弾チョッキで防御できる。
「連隊本部、中電監視所の坪井3曹です。先ほどの不審者は鉄帽とアーマー・ベストを着用しているようです。破壊行動に出るのは確実です」「了解、三重県警と滋賀県警が共同でスカイラインを閉鎖する。現場に隊員を派遣するから警告放送で破壊を喰い止めろ」坪井3曹の報告に指揮所要員は無理な指示を与えた。坪井3曹は特に弁が立つ訳ではない。おまけに重責を課せられると緊張して思考も混乱しがちだ。先ほどの警告も本来は侵入者に対する文面なので柵の外にいる不審者への武器使用の合法性には疑問があるが、言い換える余裕はなかった。
「箱から何か取り出しています。爆弾でしょう」「まずい・・・我々は君たちの存在を把握していると言ったはずだ」坪井3曹が頭の中で台本を書き始めると監視員がフェンスの外の男たちが足元に置いたダンボールから筒状の物体を取り出したのを見て強い口調で声をかけてきた。坪井3曹が画面を見ると筒状の物体に続いてコードを取り出している。これで遠隔スイッチで起爆する爆発物であることが確定した。柵の内側で爆発させても鉄塔の上部の高圧電線までは損害が及ばない可能性がある。ならば鉄柱を破壊して傾斜させ、張力で切断するのが常識的犯行手段だ。フェンスから鉄塔までは10メートル以上の間隔があるので根元に設置するため侵入した時に起爆スイッチを押すことを決意した。
「17番が爆破される可能性が高まっています。送電を緊急停止するべきです」坪井3曹は監視員が会社の上層部に送電の停止を意見具申しているのを聞いて深く息を吸いマイクに向かった。頭の中で台本を思い出してみたが文章になっていなかった。
「お前たちに連絡する。もう鈴鹿スカイラインは三重県、滋賀県の両側の出口が封鎖された。それから自衛隊がお前たちを捕まえるために向かっている。殺されたくなかったら降参しろ」坪井3曹作の投降勧告は公的文書の体裁が整っていない。やはり「もう」ではなく「すでに」でなければ軽すぎる。坪井3曹が真面目な文章を書いたのは陸曹候補生教育隊の課題論文くらいなので仕方ないが、不審者がスマート・ホンで録音していれば裁判の証拠にされるはずだ。
「外から爆弾を投げ込みました。竹竿で押し込んでいます」「この位置ならクレイムアの正面だ。全滅させられる。作動」監視員の実況中継を聞きながら坪井3曹は起爆スイッチを押した。次の瞬間、画面は真っ白に光り、不審者の爆弾の誘爆が続いた。不審者の爆弾は軍用ではなく金属缶に市販のダイナマイトを積めた自家製だったようで威力の割りに損害は小さかった。
その夜、四日市市内の宿営地から現地に急行した第33普通科連隊の捜索隊は現場付近で足を負傷して動けなくなりながら拳銃を発砲してきた男3人を発見し、銃撃戦の末に全員を射殺した。これは今回の日韓・日中の武力衝突を通じて初めての戦闘になり、マスコミは臨時ニュースで大々的に報じて安川2尉も車の中で聞いた。
- 2022/08/06(土) 15:02:24|
- 夜の連続小説9
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