8月9日は大半の日本人が「ナガサキに原爆が投下された日だ」と思って犠牲者としては少数派のカソリックの追悼ミサのテレビ中継を厳粛な気分で見ていますが、昭和20(1945)年の8月9日には青森県の大湊軍港も空襲されています。
日本海軍の大湊軍港は日露開戦直前の明治35(1902)年に北海道の室蘭に配置する予定だった横須賀鎮守府所属の水雷団が津軽海峡の警備のため大湊に変更されたことが始まりで、日露戦争後の明治38(1905)年に横須賀鎮守府から独立し、第2次世界大戦参戦直前の昭和16(1941)年11月20日には横須賀・呉・佐世保の鎮守府よりも格下で独自の艦隊と海軍工廠=造船所を持たない警備府が置かれました(他には台湾の馬公、旅順、韓国の鎮海がある)。ちなみに現在の海上自衛隊でも大湊基地は横須賀・呉・佐世保と同格の地方隊でも教育隊を持っておらす、北海道・東北からの入隊者は横須賀に赴くことになっています。
第2次世界大戦では千島列島・幌莚に司令部を置いた第5艦隊やキスカ島撤退作戦の第1水雷戦隊、第12航空艦隊の支援と周辺海域の警備に当たりました。しかし、開戦時には戦艦10隻、航空母艦9隻、重巡洋艦18隻、軽巡洋艦20隻、駆逐艦112隻、潜水艦64隻の威容を誇った日本海軍は艦隊決戦による消耗戦を続けてきた結果、敗戦時には戦艦4隻(可動艦は長門のみ)、空母は5隻でも改造ばかりで可動艦は1隻、重巡洋艦は4隻で可動艦はなし、軽巡洋艦は3隻で可動艦は1隻、駆逐艦の可動艦は40隻、潜水艦は57隻と言う惨状でした。そんな中、大湊基地には明治32(1899)年にイギリスで建造されて日本海海戦や第1次世界大戦の青島作戦に参加した装甲巡洋艦を改造した機雷敷設艦の常盤と民間船を改造した高栄丸、千歳丸、運送船の浮島丸、さらに昭和20(1945)年7月14日に北海道沖でアメリカ海軍の艦載機の攻撃を受けて艦尾切断、操舵・推進機能を喪失した駆逐艦・柳が停泊していました。
この頃、アメリカ海軍はマリアナ群島を母基地として日本全国の都市を空襲している陸軍航空軍のB-29が東北と北海道では帰還する燃料が欠乏寸前になっていることを補うようにイギリス海軍を加えた空母艦隊による空襲と機銃掃射を繰り返していて、8月9日にも陸軍航空軍第20航空軍団が大統領命令に基づくプルトニウム爆弾を福岡県の小倉に投下しようとしているのに関係なく東北と北海道沿岸を空襲していました。
大湊基地では東北地区の空襲開始の情報を得た敷設艦・常盤の河西虎三艦長が艦船の大爆発によって市街地に被害が及ぶことを避けるため全ての艦船に陸奥湾中央に機雷と砲弾と投棄することを命じ、それを終えて大湊軍港に戻った正午過ぎにアメリカとイギリス海軍の艦載機が襲来したのです。攻撃は湾内最大の軍艦である常盤と外観上は戦闘艦の柳に集中しましたが艦砲で応戦して常盤は109名、柳は20名が戦死しました(市民の死傷者はいない)。その一方で常盤は浅瀬に座礁して沈没は免れ、昭和21(1946)年から翌年にかけて解体されました。常盤の艦名の通り建造から50年間にわたり歴戦を経験しながら最期まで撃沈されなかった名艦でした。
- 2022/08/09(火) 15:38:29|
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