fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月15日・群馬県伊勢崎市が空襲された。

昭和20(1945)年の明日8月15日に埼玉県熊谷市と同時進行で群馬県伊勢崎市が空襲されました。
マリアナ群島に展開していたアメリカ陸軍航空軍第20航空軍団司令部は「日本がポツダム宣言の受諾する=無条件降伏を決定した」との情報を受けてヨーロッパと同様の独立した空軍になるための実績=戦果の仕上げとして最後の日本本土の空襲を決定し、8月14日の昼間に山口県光市の海軍工廠と同県岩国市の麻里布操車場、大阪府大阪市の大阪砲兵工廠を空襲し、日本がポツダム宣言を受諾して停戦になる前の8月15日の夜間に埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市の中島飛行機の工場と秋田県秋田市土崎の日本石油精製所を攻撃する作戦計画を立案しました。
伊勢崎市は古くから各方面への街道の起点になっていた交通の要衝で、市の中心部には有名な養蚕業から発達した繊維工場が建ち並んでいましたが、16キロの距離で隣接する新田郡大田町に日本最大の航空機メーカーの中島飛行機の工場があった関係で市の郊外にエンジン部品を製造する第1工場とボルトやナットなどの部品を製造する第2工場が建設され、さらに昭和20(1045)年2月に4度にわたり大田工場が空襲を受けて工場機能を喪失したため最終組み立て工場なども増設されていました。
このような重要地帯には日本陸軍も残っていた対空戦力を優先的に注ぎ込み、新旧大小を取り混ぜた高射砲30門を周辺に配置し、熊谷を含む関東地区の防空には陸軍第10飛行師団の千葉県の柏飛行場と松戸飛行場、藤ヶ谷飛行場に3式戦闘機・飛燕(川崎重工)を15機、1式戦闘機・隼(中島飛行機)を20機、2識復座戦闘機・屠龍(川崎重工)を30機、4式戦闘機・疾風(中島飛行機)を30機、2式単座戦闘機・鍾馗(中島飛行機)を30機配備していました。また伊勢崎市では空襲を予測して住民を強制退去させて市内各所に類焼防止用の広場を設けました。
一方、アメリカ軍は第8航空団を予備とした以外の全戦力を熊谷市と伊勢崎市の2カ所に投入していて熊谷市と同数の先導編隊機を含む93機のB-29の大編隊でした
作戦は熊谷市への先導隊よりも10分遅い14日の17時2分にマリアナ諸島の基地を離陸し、太平洋を北上しながら熊谷市の編隊と合流し、硫黄島で護衛の戦闘機を吸収して鹿島灘付近から侵入を開始すると熊谷市の編隊と別れ、利根川沿いに伊勢崎市に向かいました。そして日付が変わって間もない15日の0時8分に初弾を投下したのを合図に27発の爆弾と614トンの焼夷弾を投下しましたが、北関東特有の強い上昇気流によってBー29の機体が安定せずレーダーを含めて照準不能状態に陥り、類焼防止広場と市民の消火活動によって住居を中心に1953戸が破壊・焼失し(熊谷市は3630戸)、29人が死亡(同266人)、154人が負傷(同3000人)の被害に留まり、中島飛行機の工場は機能を維持できました。それもこの日の停戦で無駄になりましたが。
なお、熊谷市と同じくワシントンから日本がポツダム宣言を受諾した時点で作戦を中止するように指示されていましたが第20航空軍団は中止命令を伝達しませんでした。
  1. 2022/08/14(日) 15:35:03|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<続・振り向けばイエスタディ217 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ216>>

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2022/08/14(日) 18:34:56 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7841-45618d60
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)