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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ217

「和也くんは人を殺したのね」第10師団に派遣された安川2尉が中部電力の高圧電線の保線作業中に事件に巻き込まれた夜、松本駐屯地の官舎の留守宅に電話が入った。それは稲沢市の聡美の母親からだった。どうやら全国ニュースでは人物が特定できないようにしていた安川2尉の顔写真を松本市内では放送されない名古屋の地方ニュースでは鮮明に使用したようだ。地方ニュースでは全国ニュースが与えた「悪戯気分で発砲した市民を機関銃で残酷に殺害した自衛官」と言う印象をどのように演出したのかは不明だが、母親のこの口ぶりでは視聴者の多くは誤解をさらに強めたようだ。あの時の安川2尉の顔は確固たる決意を胸に抱いていたので目が殺気立っていたのは間違いない。しかし、聡美は事件後に中隊長から電話を受けて概要の説明と取材への対応を指導されているので動揺することはなかった。
「旦那さまは指揮官として行っているから自分で発砲することは多分ないわ。それにあれは関西に電力を送るために高所作業している隊員を殺そうとした犯人が逃げるのを阻止したのであって死んだのは不可抗力よ」聡美としては母が市民運動の活動を通じてマスコミにつながっていることを熟知しているだけに部隊から受けた説明をそのまま伝えた。
「それは和也くんから直接聞いたの」「ううん、旦那さまは守山に戻っているから忙しくて連絡できないみたい。代わりに職場から連絡を受けてるわ」「要するに隔離隠蔽されてしまったのね。口封じに殺されてしまわないように注意しなさいよ。怪しい兆候があったら直ぐに連絡しなさい。守山だったら目の前だから奪い返せないはずはないわ」どうやら母親は教師時代に授業で生徒に吹聴していた「陸上自衛隊は帝国陸軍の非人道的体質を継承している」と言う政治的虚構をまだ信じているらしい。しかし、帝国陸軍の非人道的体質は敗戦後に売国的な作家や映画人たちが捏造した虚偽の歴史だ。聡美は安川2尉から「自衛隊の治安出動が決定的効果を上げられない最大の障壁は日本政府を敵視して中国や韓国の主張に迎合するマスコミと市民団体の存在だ」と聞かされているが自分の母親がそのものであることを実感した。
「心配してくれて有り難う。でも旦那さまは交代要員が到着すれば作業を再開して、終われば帰ってくるわ」「別に和也のことは心配してないよ。韓国や中国と戦争できないからって国内で在日の人たちを殺している自衛隊なんか全滅すれば良いのよ。ただ母親として貴女が不安になっていないかって気を遣っただけ」この不可解な論理は聡美が実家を出て安川の実家に下宿して高校に通い始め、卒業して北海道の名寄で結婚する前に安川の両親の配慮で再開を果たして以来、耳にし続けているので今では呆れるだけだが、安川の姉の鶴舞も短大時代に学生運動の活動家の恋人に染められた反戦思想を捨てていないので最早「病気」と納得することにしている。そう言えば鶴舞は保育士シリーズのAVへの出演とそれを売りにしたソープランド嬢で荒稼ぎしたらしいが確定申告を怠ったことで警察の内定を受けて発覚したため安川2尉が北海道時代の友人に頼んで過疎地の保育所で働いている。年齢的にAVや風俗業界への復帰は無理だと思うが聡美には知識がないので断定はできない。
「ただいま」「おかえりなさい」母親からの電話を受けて数日後に安川2尉が帰宅した。東京電力の高圧電線の保線作業を含めて特殊な任務の時には日程を口にせずに出発し、帰宅も当日まで連絡してこないが、今回はそれもなかった。聡美は自転車置き場の前でかけたブレーキの音で察知して下を見ると演習バッグを肩に提げた安川2尉が階段に入ってくるところだった。運よく梓は昼寝しているので聡美は玄関で足音を待っていた。
「予定よりも早かったわね」「交代要員は久居の33普連が出したから予定よりも早く作業を再開できたんだ」ドアを開けた安川2尉は傍らに梓がいないことを確認すると大股に中に踏み込み、聡美を力任せに抱き締めた。第10師団の臨時記者会見の後のニュースでは初日に死亡した在日半島人が「悪戯心で発砲した」と報道したことを訂正するための詭弁を弄し続けていたが、被疑者死亡の殺人未遂で送検されるとこれを新事実として大々的に報じて上手く言い逃れた。すると長野県内の地方ニュースも松本の第13普通科連隊が関わる事件として取り上げ始めたが、こちらはインタビューを受けた松本の隊員たちが銃撃を受けた1曹が転落の危機を卓越した技量で回避したことを強弁したため匿名のヒーロー扱いされている。今回、帰宅予定を保全したのは1曹への取材を避けることが理由だったのかも知れない。
「貴方・・・」聡美は頬が熱い水滴で濡れ始めたことを感じて声を漏らした。いつもなら抱き締めればそのまま口づけに移行する夫が今日はこめかみに頬骨を押し当てたまま動かない。荒い吐息と一緒につたって来るのは間違いなく涙だ。これまでも夫は災害派遣や訓練で危険を潜り抜けてきたが涙を流したことはない。それからの聡美は理由もなく涙が止められなくなって、夜の営みまで泣き濡れてしまった。
ぬ・安川聡美(金森恵子)イメージ画像
  1. 2022/08/15(月) 15:57:20|
  2. 夜の連続小説9
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