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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月15日・神奈川県小田原市と秋田県秋田市土崎が空襲された。

昭和20(1945)年の8月15日の深夜に埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市が各93機ずつのB-29に空襲されましたが、伊豆半島の静岡県賀茂郡下田町が帰路の集合空域になっていたためその手前の小田原市に残っていった爆弾や焼夷弾を捨てていきました。
ただし、小田原市は単なるゴミ捨て場ではなくアメリカ軍の空襲目標一覧表の180都市のうちの94番目で、昭和20(1945)年7月17日には神奈川県平塚市のついでの空襲で4人が死亡し、8月3日と5日にはB-29の護衛として硫黄島を発進したP-51ムスタングの残弾処理を受けて3日は被害者なしでも5日は6人が死亡しています。おまけに8月7日には愛知県豊川市の海軍工廠空襲の護衛の戦闘機が第2目標の横須賀を偵察して空襲予告と降服勧告の通信筒を投下して、8月13日には海軍の艦載機の空襲で小学校や富士写真フィルムの工場が損害を受けて32名が死亡しています。ただし、8月15日の空襲は本当にゴミ捨てだったようでアメリカ軍の攻撃成果報告に記述はありませんが、多数の爆弾と焼夷弾が投棄されて402戸が被災して12名が死亡しています。
一方、8月14日の午後10時半頃から15日の午前3時半頃にかけて日本国内では最大の産油地だった秋田県秋田市土崎の日本石油製油所が空襲されました。同じ日の埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市はマリアナ群島からでしたが、土崎はグアム島を発進したB-29を132機が(B-29の最終製造機数は3970機)が日本石油の製油所を中心に周辺の住宅地や港湾施設に爆弾12047発=953・9トンを投下して身元が確認できているだけでも141名が犠牲になりました。
秋田県では古くから石油が湧く地域があり、秋田市の海岸沿いの川は石油の臭いを意味する「草生津川(くそうづがわ)」と呼ばれていました。このため江戸時代になって秋田藩は「燃える水」として売り出そうとしましたが、当時は灯明用の菜種油の代用品くらいしか用途がなく、期待した利益は上がらなかったようです。それでも明治時代に入ってランプが普及すると油の使用量が急増しましたが、採掘方法は手掘りだったため思うほど増産できず本格的に国産石油の生産地になったのは明治20年代以降でした。
秋田県内の主な産油地は空襲を受けた現在の秋田市土崎の八橋油田(1935年に産油開始して現在も)だけでなく同秋田市濁川の旭川油田(明治初期から昭和末期まで採掘した)、同秋田市下桂根の桂根油田(1919年から1963年まで)と羽川油田(1919年から1966年まで)、同秋田市金足黒川の黒川油田(1913年から現在も=日本最大と言われている)などがあり、この他にも縄文時代からアスファルトが使用されていた遺物が発見されている同潟上市昭和豊川槻木の豊川油田では現在は石油の採掘は終わっているものの天然ガスは微量ながら生産しています。
ちなみに秋田県と並ぶ産油地の新潟県新潟市は原子爆弾投下の第3標的だったため(日本が無条件降伏しなければビキニ環礁で爆破実験した1発を使用した)空襲目標一覧に入っておらず無事に終戦を迎えましたが、昭和39(1964)年6月16日の新潟地震で壊滅的被害をうけました。
  1. 2022/08/15(月) 16:00:42|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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