8月5日の三宅一生さんに続き野僧のようなファッションとは全く無縁の人間でも名前を知っているデザイナーの森英恵さんが8月11日に亡くなったそうです。96歳でした。
ところがファッションとは全く無関係の野僧も長年にわたり森さんの作品を愛用していました。それは我が天職・航空自衛隊の制服です。
野僧が自衛隊体育学校に入校した時、衣替えの直前で入校案内に「入校式は1種夏服」と断ってあったので私物の1種夏服を着用しました。ところが航空自衛隊では空曹空士には官給品の1種夏服を貸与していなかったためもう1人の航空要員だけがワイシャツ式の2種夏服になってしまい、式の後で散々に文句を言ってきたのです。そんな様子を見ていた陸上の同期たちは航空の制服に興味を持ったらしく野僧の冬制服や作業服、航空ジャンバーを試着し始めたので代わりに陸上の戦闘服から作業外衣(アメリカ軍で言うフィールドジャケット)に冬制服まで着ることになって「似て非なる物」なのを実感できました。
先ず航空の冬制服がサイドベンツなのに対して陸上はセンターベンツで、映画「皇帝のいない八月」や「野性の証明」で陸上自衛官が着ていた制服はサイドベンツだったので意外でした。肩章の止めボタンは襟の下にあり、航空のように肩章の端末が出ていないかを確かめる必要はありません。またボタンは無地の金の円盤なので航空のように浮彫の鷲の向きを確かめる必要もなく、航空の冬制服を着た時の身嗜みは無用でした。
野僧は天職である航空自衛隊の制服に愛着を持ち、空曹時代から私物の制服を作っていたのですが私物と官給品では規格が異なり、見栄えが全く違うことに気づきました。そこで補給係の人脈で調査すると「オーダーメイドは森英恵さんのデザインに忠実に仕立てているが、官給品は納入業者が六本木(当時の航空幕僚監部)や市ヶ谷(当時の補給本部)の担当者と結託して襟やポケットの生地を胡麻化しているから格好悪くなるのは当然だ」との回答を得ました。確かに納入業者は制服を数万着単位で納入しているので襟を狭くして、胸周りとの対比で決めていたポケットを一律サイズにして生地を誤魔化せば数センチの蓄積で材料費がかからない制服が大量に製造できるのです。その結果、森さんが航空自衛隊の品格を高めようと熱意をもってデザインし、幹部学校に留学している外国空軍の士官たちが「JASDFは格好いい」と絶賛していた制服が台無しになっていました。
今回、陸上自衛隊は「軍服研究の日本の最高権威」と自称する需品学校の非常勤講師・辻元某のデザインで第302保安警務隊の特別儀仗服と制服を変更しましたが、制服は准尉から1佐の袖に「3等海尉」の階級章である金線1本が入るなど国際的軍事常識から逸脱した恥辱と言うしかない失敗作で、特別儀仗服に至っては歴史的経緯がない詰襟に斜めにボタンを配した玩具の兵隊のような陳腐な服装で国家の威信は吹き飛んでいます。
その点、航空自衛隊は生地を変更してもデザインは堅持しているので安心していますが(業者の誤魔化しも修正されたらしい)、本来は生地の色もオーダーメイドの灰青色が正規なので森さんへの報恩と供養のためにも機会を見つけて変更するべきです。
現役時代、私物の制服を10着作るほど愛していました(冬制服なら4万円から8万円)。感謝を込めて冥福を祈ります。


森英恵さんデザインの航空自衛隊の礼装と制服
- 2022/08/24(水) 15:12:20|
- 追悼・告別・永訣文
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