fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月29日・半島人による一勝地村農家6人殺害事件が発生した。

敗戦から1年後の昭和21(1946)年の明日8月29日に熊本県球磨郡一勝地村(現在の球磨村)で出稼ぎ半島人による農家6人殺害事件が発生しました。
事件はこの日の夕方に地域でも有数の豪農の屋敷で火災が発生し、鎮火した翌朝に人吉警察署が現場検証したところ当主の毎床照光さん・37歳、その妻のシメさん・32歳、父親の朝太郎さん・70歳、9歳の長男、7歳の二男、4歳の三男と思われる6人の焼骨化した遺骸を発見したのですが、全員の頭蓋骨に殴打による陥没した傷があったことから放火殺人事件として捜査を開始したのです。
先ず地元と周辺の聞き込み捜査に着手したところ隣村の住民から「一昨日、被害者宅に梨を買いに行ったところ『お宅の集落の朝鮮人が梨を買いにきたが金がないからと腕時計を置いていった』と言われた」との情報が寄せられ、その半島人からも事情を聴くため住居に行くと庭に血痕が着いた作業服が干してあったため家にいた韓永述=日本名・谷川永子さん(女性)・21歳と李鐘根=同・美山鐘根さん・24歳の2人を逮捕しました。そして「共犯者がもう1人いて近々半島に帰る予定だ」との証言を得たため熊本県警は朝鮮語に堪能な警察官を選抜して追跡を命じ、間もなく九州の交通の要衝・佐賀県鳥栖市で崔桂奎=同・水原桂太郎さん・24歳を逮捕しました。
犯人3人は戦時中に九州北部の炭坑に出稼ぎに来ていましたが、敗戦で鉱山が事業縮小されたため熊本県でも鹿児島県に近い山村の一勝地村で小作人の働き口を見つけたのですが出征した日本人の若者の復員が始まるとこちらも仕事が減り、やむなく帰国することを決めたものの費用がなく、強盗を計画して地域では有名な富豪だった被害者宅を狙ったようです。ところが犯行のため被害者宅を訪ねて「帰りが遅くなったので泊めて欲しい」と頼むと気軽に応じてくれただけでなく非常に親切にもてなしてくれたため流石に決行はできず、翌朝は大人しく帰りました。
ところが昭和26(1951)年1月17日に神戸市生田区で世話になった洋服店店主夫婦を殺害した犯人と同様に親切にしてくれた相手でも目的のためには平然と殺害できるのが半島人の民族性のようで、夜になって「昨夜の礼がしたい」と酒を持って再訪すると宴席にして酔わせて眠らせ、深夜に3人で全員の頭部を殴って殺害すると箪笥の中に保管してあった現金15800円(現在の200倍相当の貨幣価値)を強奪し、証拠隠滅のため放火して逃亡したのです。
裁判では1審の熊本地方裁判所八代支部は3人に死刑判決を下し、韓被告と李被告が控訴した2審の福岡高等裁判所では李被告の死刑を維持しながら女性の韓被告を無期懲役役に減刑して2人とも上告しなかったため刑が確定し、昭和25(1950)年1月20日に2人の死刑が執行されました。当時は放火を伴う殺人は原則として死刑で(現在は「火災によって人を殺害した場合に適用できる」に緩められている。刑法上の量刑は死刑又は無期懲役、若しくは懲役5年以上=最低刑が重い)、これに神戸の事件と同様に世話になった人物に対する恩人殺害が加わっているので死刑判決は当然でした。
  1. 2022/08/28(日) 14:55:51|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ231 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ230>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7871-583cd91d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)