昭和33(1958)年の明日9月7日に戦前は陸軍航空士官学校、当時は在日アメリカ空軍ジョンソン基地(敗戦後、アメリカ軍が接収した直後に事故で殉職したエース・パイロットのジェラルド・R・ジョンソン大佐に由来する)でもあった航空自衛隊入間基地で基地内を通過していた西武池袋線の列車が銃撃されて、乗客の大学生が死亡したロングプリー事件が発生しました。
日本の警察当局は発生状況から「ジョンソン基地内で発射された銃弾が列車に命中した」と断定してアメリカ軍憲兵隊に捜査を依頼すると間もなく基地内で射撃訓練を実施していたピート・ロングプリー2等兵が「空射ちの練習をするのに実弾を抜くのを忘れた」と発生事実を認めたため身柄を拘束しました。しかし、この日、ロングプリー2等兵の所属部隊は射撃訓練を実施しておらず、空射ちでも列車に向かって射撃訓練することはあり得ないため、さらに追及したところ訓練とは関係なく個人的に銃を持ち出して入手していた実弾を込めて列車を射ったことを認めたのです。
当時の日米地位協定(日米と断っているが在外国アメリカ軍は当事国と地位協定を締結して所在する軍人にアメリカ東海岸と同等の処遇を保証していて現在の日米地位協定は諸外国の地位協定に比べてアメリカ軍に不利と言われている)では公務上の事件はアメリカ側に捜査・逮捕・裁判権が与えられていたため本人の家族や弁護士は勤務時間中だったことを根拠に「私的に射撃技量を向上するために実施した訓練」とするように空軍当局に圧力をかけましたが、日本では前年1月30日に群馬県の相馬原演習場でウィリアム・S・ジラード上等兵が金属ゴミとして高く売れる空薬莢を拾いに来ていた地元の主婦を呼び寄せて射殺した「ジラード事件」が発生していて、休憩中=公務外とする日本側の捜査・逮捕・裁判権の要求をアメリカ軍が拒否したため60年安保闘争の予兆のように反米世論が沸騰し、日本の前橋地方裁判所に殺人ではなく過失致死の罪状で起訴された公判の開廷直後だったので在日アメリカ軍としては慎重にならざるを得ず、上京する遺族の旅費と宿泊費から葬儀費用までを全額を支払い、基地司令自ら葬儀に出席して基地の所属隊員から集めた多額の弔意金を手渡しました。
結局、浦和地方裁判所は重過失致死罪で起訴されながら業務上過失致死罪で禁固10ヶ月の判決を出しましたが、前述のジラード上等兵の懲役3年・執行猶予4年の判決と比べるとジラード上等兵は主婦を至近距離からあきらかに狙って射殺している殺人罪に相当する極めて悪質な犯行なのに対してロングプリー2等兵は軽率な射撃遊びだったことは否定できず、ジラード上等兵の起訴事由と量刑が不当に軽く、ロングプリー2等兵は業務上過失致死罪としては日本人と同程度の量刑だったようです。
西武鉄道の車掌に聞いた話では池袋線の最終で入間基地内を通過すると線路上に若い男性が立っているので基地正門前の稲荷山駅に停車するため減速している車両を緊急停車させることがあったとのことです。基地内の踏切の脇には石地蔵が鎮座していますが、こちらは(不正外出で帰隊した)踏切事故で死亡した隊員の遺族が建立しました。
- 2022/09/06(火) 15:49:48|
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