「安川1尉ってスイスのレーア大尉を紹介した松本の教え子でしょ」「うん、ワシよりも田島3佐の教え子だけどな」夜の散歩を終えて一緒にシャワーを浴びてリビングで淳之介が送ってくれた八重山の泡盛を飲みながら雑談を再開すると梢は早速、本題を切り出した。梢は田島3佐が在スリランカ日本大使館の在外公館警備官だった時に世話になっているので私との関係は熟知している。むしろ安川1尉とは面識がないので説明の密度を濃くしなければならない。そうなると2尉の頃に小隊長として私の薫陶を受けた教え子を自称してくれている田島3佐は曹候学生の後輩にした方が判り易い。
「牧野弁護士は北キボールPKOの裁判の担当弁護士で、司法試験の受験勉強の先生、イージス護衛艦の事故の裁判では一緒に弁護した仲間だったわよね」梢は酔う前に雑談の登場人物の確認を始めた。言われてみれば法学部の教授が「ウチには司法試験に合格できる学生がいない」と嘆いていた地方大学を中退した私がその司法試験に合格したのは牧野弁護士の懇切丁寧、適宜適切な指導のおかげなので私こそ教え子だ。尤も牧野弁護士は私の指導経験を最大限に活用して息子を大学在学中に一発合格させたらしい。
「佐藤知美3佐と安川1尉は熊本大震災の災害派遣で会ったみたいだ」女性の佐藤3佐については私から説明した。梢は若い頃も「自分が一番愛されている」と言う自信を持っていたので焼餅を焼かなかったが、現在は佳織との関係もあるので慎重を期した。
「茶山さんの新聞の記事だと鉄塔の高い場所に登っていた隊員が拳銃で射たれたから警備の隊員が応戦したんでしょう。先に射った方が殺人未遂じゃない」「当然、生き残ったドライバーは殺人未遂の共犯者として刑事告発されているはずだ。おそらく名古屋の弁護士団体は津地方検察庁に加害者と被害者の2重構造を発生させて、混乱に乗じて共犯者の裁判を有利に進めることを狙っているんじゃあないかな」「確かに隊員の裁判では共犯者が被害者になっちゃうわね」梢も同居生活が長くなって検察官の秘書として必要な資質がかなり向上・充実している。元々が私よりもはるかに優秀な頭脳の持ち主なので当然と言えば当然だが。
「本来は自衛隊側が短機関銃の射程距離や命中精度なんかを数字で情報提供するべきなんだが、今回の裁判は被告の3曹は12師団所属、裁判は10師団管内、牧野弁護士も東京からの通いになるから法務官同士と牧野弁護士の連携が上手く機能するか心配だよ」「やっぱり陸上自衛隊ってお役所的なのね」梢の感想に私は苦笑いしてうなずいた。日本の官僚機構を作ったのは明治初期に日本を乗っ取った薩長土肥の中でも最も人材が乏しかった毛利藩閥だと言われている。毛利藩は幕末に尊皇派と佐幕派が激しく対立して藩内で殺し合っただけでなく、禁門の変や馬関海峡砲撃戦、幕府による毛利藩征討で指導者だった藩士の大半が死んでいたため新政府には残り滓しか送り込めなかった。そんな無能な人罪たちに行政を担当させるため毛利藩閥の長だった山県有朋が作り上げたのが縦割りと根回し、前例踏襲の日本的官僚風土なのだ。山県は日本陸軍を作った山口軍閥の長でもあるので両者が似ていても不思議はない。
私の刑事裁判では検察側の資料から引用しただけの弁論を受けて私が牧野弁護士に運用上の特性を解説して反論させていた。イージス護衛艦の裁判でも海上自衛隊の全面協力によるレーダーや操艦の実証実験で得た情報で海難審判の虚偽を立証した。おそらく法務官は傍聴席で裁判に立ち合うはずだが、弁護士に直接助言することは法廷を隔離するため許されない。その点、被告人は打ち合わせの振りをして幾らでもできた。
「乾杯」「乾杯・・・それにしても安川を1尉にした12師団は立派だな」裁判の話題は私自身が何もできないことを噛み締める形になったためここまでにした。丁度、泡盛も一杯目を飲み干したので梢が台所でお代わりを作ってきて再開する前に乾杯した。
「ワシは部外出身で2尉から1尉は一律の自動昇任だったが、部内は2尉から1尉になるのに全力投球するみたいだ。手段を選ばないと言っても良いかも知れないな」「2尉は小隊長、1尉は中隊長になるのよね」梢の理解は私との雑談を真剣に聞いている証左だ。具体的に説明しなくても小隊長の話題の登場人物が2尉や3尉、中隊長が1尉や3佐であれば頭の中で適切に分類する。曹長には先任陸曹と小隊長がいるが、その点は雑談中に確認してきた。
「中隊長になれば編成単位部隊長だから命令の決済権や補給と予算の請求権、施設の管理権が与えられる」「会社で言う課長や支店長ね」考えてみれば私は曹候学生出身なので3曹は一律の自動昇任、陸の幹部候補生はマグレで合格したが3佐にならないまま司法試験合格者の指定階級で2佐になったので必死になって昇任した経験はない。守山では副連隊長、久居では大隊長とどちらも2佐の上司に嫌われて不当人事と告発しても間違いではない取り扱いを受けたから、この特殊な世渡りも佛さんの救い、導きだったような気がしてきた。

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- 2022/09/08(木) 16:07:08|
- 夜の連続小説9
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