fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

フランスの映画監督・ジュスト・ジャカンさんの逝去を悼む。

9月6日に1974年公開の「エマニエル夫人」や1975年の「O嬢の物語」、1981年の「チャタレイ夫人の恋人」などの柔らかく美しい性描写の新たな映画分野=ソフト・ポルノを開拓したフランスのジュスト・ジャカン監督が亡くなりました。82歳だったそうです。
ジャカン監督は1940年8月にナチス・ドイツの占領政権が置かれていたフランス中部のヴィシーで生まれました。ヨーロッパでは1939年に第2次世界大戦が始まっていてフランスは1940年6月に占領されていましたが、両親はナチス・ドイツに同調するつもりがなかったらしく監督が生まれて間もなくイギリスに移住して終戦後に帰国しています。少年時代から写真と絵画を始めましたが本格的に取り組んだのは兵役を終えてからで、ファッション写真家として雑誌などで活躍し、その流れでコマーシャル・フィルムの撮影に手を広げていく中で映画界に進出して初監督作品として発表したのがタイ人の女優出身の作家・エマニュエル・アルサンさんの小説を映画化した「エマニエル夫人」でした。ちなみにこのシリーズは1969年にイタリアで初めて映画化され、その後も1975年に「続エマニエル夫人」、1977年に「さよならエマニエル夫人」、1984年にも「エマニュエル」が公開されています。
この作品が公開されたのは野僧が中学生になった年で、映倫は映像が美しく洋画では性交渉の場面は珍しくないので「18歳以上対象」の成人映画に指定しなかったものの制服を着なければ映画館がある街に行けない田舎では見ることはできず、色気づき始めたガキどもは週刊誌などの記事を持ち寄ってモデル出身の主演女優・シルビア・クリステルさんの美しい肢体に興奮していました。
その後、野僧は沖縄に赴任して亡き妻とリバイバル映画として見ることになりましたが、あらすじは「年齢差がある外交官と結婚した若妻は性モラルを否定する夫から自由奔放な性生活を勧められても同調できずにいた。ところが夫が先に赴任していたタイのバンコクに向かう旅客機の中でレイプされ、それを見ていた別の男性にもトイレで性関係を強要されたことで頑なに守っていた性モラルが壊れ始めた。そうして始まったバンコクでの生活では夫と同様に性モラルを放棄した有閑マダムに囲まれ、同性愛で快感を教えられたのを皮切りにして多種多様な性交渉を重ね、性の快楽を哲学的に考察する初老によって女性として開発され、最後は本人を賭けたムエタイの試合の勝者に抱かれて快楽の絶頂を迎える」と言うヨーロッパ的に難解な物語でしたが、裸身を披露している女優と映像が美しかったので最後まで見ることができました。ただし、亡き妻はエマニエル夫人が「ソフト・ポルノ」と呼ばれていることで「ポルノ」を誤解して日活ロマン・ポルノ作品「大奥十八景」を見に行ったため観客席の男たちの異様な熱気(=振り向いた視線)に怯えることになりました。野僧が同伴していなければ危ないところでした。
晩年のジャカン監督はブルターニュで妻と暮らしていましたが、映画製作は思い出話にして絵画と彫刻を楽しみながら過ごしていたそうです。冥福を祈ります。
  1. 2022/09/10(土) 15:40:18|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ244 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ243>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/7898-dce8b08d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)