野僧でさえ急速に劣化・腐敗していく日本を象徴=体現し、古来の神々に愛想を尽かされて天変地異を頻発させていた平成の天皇に比べれば敬意を抱き、好感を持っていたグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国のエリザベス・アレクサンドラ・メアリー2世女王が9月8日に崩御しました。96歳、在位は70年間でした。
現在、日教組に迎合してきた亡国官僚が主導している文部科学省は敬語を人間に上下優劣をつける差別用語として日本語から抹殺する暴挙を進めていて(タイのプーミポン・アドゥンヤーデート国王=ラーマ9世が崩御された時に確認した)、新聞や民間放送だけでなく国営の日本放送協会=NHKのニュースでも「死去」「死亡」と表現しています。
エリザベス2世女王は1926年に王太子ではなかったアルバート王子の第1子として生れました。ところが1936年に伯父であるエドワード8世が2度の離婚歴があるアメリカ人女性との結婚を望み、認められずに退位したため父がジョージ6世として即位することになり、エリザベス王女も王位継承権1位の王太女になったのです。
第2次世界大戦中は10歳代の王太女として振る舞い国民の絶大な支持を獲得しましたが、終戦直後の1947年にナチス・ドイツによって廃絶されていたギリシア王室のフィリップ・マウントバッテン王子と結婚しています。そして1952年に父王が56歳で崩御すると訃報を訪問中のケニアで知り、急遽帰国して25歳で即位したのです。
野僧がエリザベス2世女王に敬意を抱くようになったのは1982年のフォークランド紛争に二男のアンドルー王子がヘリコプター・パイロットして出征した時、「王家の者としての義務」と毅然とした態度を崩さなかったのに対して「鉄の女」と呼ばれていたマーガレット・サッチャー首相は天下の馬鹿息子がパリ・ダカール・ラリーに参加して行方不明になると執務中に半狂乱になり、国家機関を投入して捜索を命じる醜態を晒し、国家元首=君主としての器の違いを実感したことでした。
国家元首の器の違いと言えばオランダのベアトリクス前女王と1967年生まれのウィリアム国王は来日して平成の天皇に第2次世界大戦緒戦の敗北を謝罪させましたが、エリザベス2世女王は戦勝国の余裕を見せていました。
その一方で新国王が現在の王妃との結婚を反対されたため「この娘なら文句はなかろう」と結婚した野僧と生年月日が同じ前妻が王室の伝統を破壊するのをマスコミどころか労働党のトニー・ブレア首相まで賞賛した上、離婚後に悲劇的な死を遂げたことで実像が暴かれることなく偶像化して、女王は守旧派の権化のように揶揄された時期もありました。しかし、それも解消されて多くのイギリス国民が心から「国家の母」に別れを告げている姿が感動を呼んでいます。ご冥福を祈ります。
ちなみにイギリスの国歌は「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン(カミよ、女王を守り給え)」から「ゴッド・セーブ・ザ・キング(カミよ、国王を守り給え)」に題名と歌詞が変わり、軍の別称も「ハー・マジェステイズ・アームド・フォース(彼女の威厳を持つ軍隊)」から「ヒズ・マジェステイズ・アームド・フォース(彼の威厳を持つ軍隊)」になります。
- 2022/09/13(火) 12:50:28|
- 追悼・告別・永訣文
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0