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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

兼業作曲家・彩木雅夫さんの逝去を悼む。

9月16日に北海道放送の社員と兼業しながら内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」や殿さまキングスの「女の純情」「なみだの操」などの昭和ムード歌謡の名曲を作曲した彩木(さいき)雅夫さんが亡くなったそうです。89歳でした。
彩木さんは昭和8(1933)年に北海道帯広市で生まれました。敗戦後の昭和31(1956)年に北海道学園大学を卒業して東京の電気通信専門学校を修了すると昭和33(1958)年に北海道放送帯広支社に就職しました。昭和40(1965)年に札幌本社に転勤すると在職のまま昭和41(1966)年にジャッキー吉川とブルー・コメッツの「愛の終わりに」で作曲家デビューしました。ブルー・コメッツが「ブルー・シャトー」でレコード大賞を受賞したのは昭和42(1967)年なのでこの時点は人気グループ・サウンズのバンドでした。ちなみに「ブルー(英語)・シャトー(フランス語)」の大間違いの作詞は橋本淳さんで作曲はメンバーの井上忠夫さんです。
続いて昭和43(1968)年に森進一さんがNHKの紅白歌合戦出場を決めた「花と蝶」と「年上の女」、昭和44(1969)年には内山田ひろしとクール・ファイブの「逢わずに愛して」と「長崎は今日も雨だった」を作曲しました。確かに「長崎は今日も雨だった」はクール・ファイブの代表曲ですが、他のヒット曲では昭和47(1972)年の「そして、神戸」は千家和也さん作詞、浜圭介さん作曲、昭和50(1975)年の「中の島ブルース」は斎藤保さん作詞、吉田佐さん作曲、昭和51(1976)年の「東京砂漠」は吉田旺さん作詞、内山田洋さん作曲です。補足すればリーダーの内山田さんはクール・ファイブのシングル・レコード(後にCD)の56枚のA面B面112曲の内、19曲を作曲していて他のメンバーも作曲しているので「ワワワワーン」の単なるバック・コーラスではなかったようです。
その後は昭和48(1973)年には殿さまキングスの「なみだの操」、昭和49(1974)年に「女の純情」などをヒットさせていますが、このように短期間集中的に1人2曲か1曲を提供していたのはやはり北海道放送と作曲活動を兼業していたからかも知れません。しかし、昭和50(1975)年に退社して嘱託に移行してからは昭和45(1970)年に設立した楽曲管理会社・ミュージックキャップ・トーキョーと昭和51(1976)年に設立した番組・レコード製作会社のミュージックキャップ・サッポロ、昭57(1982)年に取締役に就任したエフエム北海道の経営に専念したようで楽曲としては昭和61(1986)年に森進一さんの「わが故郷は心のふるさと」と1988年に五木ひろしさんの「港の五番町」を提供した以外は2005年に後川清とホット・ファイブ(前川清さんのそっくり芸人・後川清さんとクール・ファイブの小林正樹さんと宮本悦郎さんのグループ)のパロディ曲「長崎は今日は晴れだった」を発表しただけでした。
「長崎は今日も雨だった」は長崎出身の妙好人の婆ちゃんとの約束で出棺の時に唄いました。冥福を祈ります。
  1. 2022/09/27(火) 14:48:21|
  2. 追悼・告別・永訣文
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