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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

悲劇の大投手・池永正明さんの逝去を悼む。

9月25日に当地=旧・山口県豊浦郡豊北町出身で高校野球、西鉄ライオンズのエースとして多くの偉業を残しながら東京の球団を保有する新聞社が日本シリーズで苦杯を舐めさせ続けられた強豪チームの復活を阻止するべく八百長の疑いを報じて、「球界の浄化」キャンペーンの中で行われた捜査でも不起訴処分になりながら選手生命を奪われた豊北町の英雄・池永正明投手が亡くなったそうです。76歳でした。
池永投手は敗戦直後の昭和21(1946)年に豊北町でも玄界灘に面した海辺の集落で漁師の息子として生れました。同じ西鉄の稲尾和久投手も漁師の息子で、幼い頃から櫓を漕いで海に出たことで強靭な足腰が鍛えられ、抜群のバランス感覚が養われたそうなので池永投手も同様の生活で並外れた身体能力を獲得したようです。実際、中学校では陸上競技の全国大会で100メートル走、走り高跳び、砲丸投げの3種目で優勝しています。下関商業高校に進学すると2年生でエースになり、春の選抜で優勝、夏の全国大会で準優勝、3年の選抜にも出場して2回戦で敗退しました。
高校3年になると読売、南海、西鉄から入団の誘いを受けますが、3年の選抜で初出場優勝した徳島の海南高校の尾崎正司(後のプロゴルファー)投手と天秤にかけていた西鉄に入団しました。こうして昭和40(1965)年のシーズンではまだ28歳ながら昭和33(1958)年の読売との日本シリーズでの3連敗の後の4連投4連勝に象徴される酷使で衰え始めていた稲尾投手に代わる主力投手になり、20勝10敗の好成績を収めて新人賞を獲得し、受賞者インタビューで「自分は野球選手以外の職業になることを考えたことがないし、これが天職だ」と語っています(尾崎投手は池永投手の実力を見せつけられて外野手・打者に転向し、3年で退団した)。
以降、2年目は15勝14敗、3年目は23勝14敗、4年目も23勝13敗、5年目は18勝11敗、6年目はシーズン途中で黒い霧事件による永久追放処分を受けたため4勝3敗で終わりましたが通算成績は6年間で103勝65敗でした。
その黒い霧事件とはヤクザ屋と芸能人やスポーツ選手の関係が密接な博多の土地柄で「野球賭博に協力して八百長した」との疑惑を持たれた投手が、同様の行為をした可能性がある選手として池永投手の名前を上げたことが切っ掛けでした。それを東京の読売新聞と報知新聞が博多の土地柄を考慮することなくヤクザ組織と野球界の癒着「黒い霧事件」と社会問題化して報道し、「球界の浄化」を求める大キャンペーにしたのです。
しかし、疑惑を持たれた3選手は成績が低迷していてヤクザ屋からの誘いに乗る素地がありましたが、池永投手は西鉄のエースとしての地位と高額の報酬を受けていたので必然性がなく、警察の取り調べでも不起訴処分になったにも関わらず日本野球機構は永久出場停止=追放にしたのです。読売は昭和31(1956)年から3年連続で西鉄ライオンズに日本シリーズで負けていますから「球界の盟主」の地位を確保するためには復活を阻止する必要があり、これは絶好の口実だったのでしょう。豊北町では安倍元首相に続く慟哭の訃報です。冥福を祈ります。
  1. 2022/09/28(水) 15:00:44|
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