9月30日は1991年に国際翻訳家連盟が制定した「世界翻訳の日」で、2017年には国際連合総会で決議されて国際デー(国際機関の記念日)になっています。
日本の記念日には歴史的な出来事を由来にするものを除くと日付の語呂合わせが多いのですが、流石に国際翻訳家連盟が制定しただけに古代ヘブライ語だった聖書をラテン語に翻訳したとされる聖ヒエロニムスの祝日=命日を採用しています(没年はキリスト教暦=西暦420年)。ただし、イスラム教では預言者・ムハンマドがアラビア語で受けたアッラーの啓示を口述筆記したクルアラーンを他の言語に翻訳することは「啓示を変質させる」として厳禁されているので聖ヒエロニムスの祝日が国際デーに相応しいのかには疑問を感じてしまいます。それでも決議案の共同提案国11ヶ国にはバングラデシュ、カタール、トルコ、トルクメニスタンの原理主義ではない=いい加減なイスラム教国も含まれているので問題はないのでしょう(佛教国はベトナムのみ)。
聖ヒエロニムスが切っ掛けを作った聖書は世界各国の言語に翻訳されていますが、古代ヘブライ語の原典からではなくその地域で布教活動を行った外国人宣教師が自分の母国語の聖書を翻訳したことが多く、現在の日本語の聖書は幕末から明治初期に来日したイギリス人やアメリカ人の英語の聖書から翻訳したもののようです(江戸時代中期にも小関三英さんなどの蘭学者がオランダ語の聖書を翻訳していますが禁教されていたため普及しませんでした)。しかし、あまり優秀な翻訳者ではなかったようで古代ヘブライ語のヤハウェを英語でゴッドと訳した大いなる存在を日本語にするのに「八百万の神々」の単数形を無断借用したため「唯一絶対」とうそぶくのが盗人猛々しいことになってしまいました。
一方、明治期にヨーロッパで学んだ多くの日本人科学者たちは帰国後に師匠や兄弟子を超える偉大な研究成果を上げましたが、ヨーロッパの学界に発表する論文の翻訳が稚拙だったため(雇われた翻訳者の日本語力が低かった)、「後発の猿真似に過ぎない」と言う偏見もあって正当に評価されず、戦前にはノーベル賞受賞者は出ませんでした。逆にヨーロッパの文学作品は森鴎外さんや夏目漱石さんなどの文豪が翻訳を手掛けたため原作以上の名作に仕上がりましたが、日本の文学作品は科学論文と同様の障害を越えることができず、平岡公威=三島由紀夫さんの明快な文章表現によってようやく魅力を発信できるようになったのです。
その意味では翻訳は非常に重要な役割を担っているのですが、野僧はアラスカ人の彼女との交際を通じて日本文を英語に訳すのではなく英語の単語をそのまま理解する会話能力を身につけたため赤い果実を見れば「林檎」と同時に「アポー=アップル」としても頭が反応します。ところが新聞記事などを外国人の友人に読ませるため翻訳しようとすると文章との格闘が始まり、手紙を読んで書く以上に苦労します。中でも日本語の人物表現や季節感、感情の機微などの微妙なニュアンスの違いを使い分ける単語が見つからず、長い文章が短く、短い文章が長くなって困惑する=不安になることも珍しくありません。だから国際的に「翻訳者の皆さま、お世話になっています」と感謝する日が必要なのでしょう。
- 2022/09/29(木) 14:53:59|
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