実は野僧が生まれた頃、両親は名古屋市南区前浜の前浜荘と言うアパートに住んでいて本籍地もここに置いていたため、大学を中退して航空自衛隊に入った時に戸籍謄本を取りには名古屋市の南区役所所まで行くことになり、そのおかげで名鉄本線の本笠寺駅で下りて前浜荘を訪ね、無人になって取り壊す寸前の建物に入ることができました。
ただし、父親の転勤で2歳の時に岡崎市に転居し、さらに中学生からはド田舎の現世の三悪道に堕ちたため名古屋は遠くの都会になってしまったのですが、航空自衛隊に入隊して小牧基地の第5術科学校に入校したことで名古屋人の血が少しだけ蘇りました。
明治22(1889)年の10月1日はそんな名古屋市の市制記念日ですが(徳島市と鳥取市も同日付)、同年4月1日付の京都市、大阪市と堺市、横浜市、神戸市と姫路市、長崎市、新潟市、水戸市、津市、静岡市、仙台市、盛岡市、弘前市、山形市と米沢市、秋田市、福井市、金沢市、富山市と高岡市、松江市、広島市、赤間関市(現在の下関市)、和歌山市、高知市、福岡市と久留米市、熊本市、鹿児島市、佐賀市、5月1日付の東京市(当時)、6月1日付の岡山市、7月1日の岐阜市、甲府市の後塵を拝しています。
名古屋は古来、那古野(なごの・なごや=名古屋城がある地域の地名)と書き、古事記・日本書紀には日本武尊の妻・美夜受比売がいた場所として登場します。このため最期の出征時(岐阜県の伊吹山で没したとされる)に形見として妻の手元に残した草薙の剣は熱田神宮の神体になっています。したがって皇室の三種の神器は類似品です。
また鎌倉幕府を開いた源頼朝公は熱田の誓願寺で源義朝さんと熱田神宮大宮司の娘の間に生まれています。現在、名古屋市は郷土出身三英傑として織田信長さんと豊臣秀吉さんと一緒に岡崎市出身の東照神君・徳川家康公を登場させていますが頼朝公の方が適切です。
名古屋は古くから陸路、海路、水運の交通の要地であり、濃尾平野の農産物、伊勢湾の海産物が豊富だったため覇権争いが激しく、中央から派遣されてくる領主にも土豪は面従腹背だったので外来豪族出身の織田信長さんも尾張一国を支配するのには苦労しました。
江戸時代に入ると徳川家康公は名古屋を御三家の筆頭として反乱を起こした西国大名の江戸侵攻を阻止する拠点と定め、江戸城よりも大規模な城郭を築く一方で東海道は名古屋城下を通さずに宮(=熱田)から桑名まで船で渡るようにしました。
このため名古屋は歴史の渦中に身を置く東京、大阪、京都に比べてどこか傍観者的な風情を持ち、近代に入ってからも名古屋限定ブランドの商品を全国に「輸出する」と言う感覚があります。実際、名古屋ブランドにはインスタント・カレーのオリエンタル(ハヤシもあるでよ)、インスタント麺の寿がきや、パンの敷島パン(現在のパスコ)に洋菓子、和菓子などの食品メーカーや衣類、玩具から家具、家電製品まで目白押しで(トヨタ自動車も愛知の県産品と思っている人がいる)、しかもそれを売っているスーパー・マーケットやデパートも名古屋に本店を置く東海三県限定のチェーン店です。他にも鉄道車両の栄誉・ブルーリボン賞を何度も受賞した名古屋鉄道などがありますが、その地域限定が全国区の製品以上の品質であることが名古屋人にとっては「誇り」ではなく「常識」なのです。
- 2022/09/30(金) 15:29:50|
- 日記(暦)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0