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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月2日・和尚が似合う俳優・大滝秀治の命日

2012年の10月2日は左翼演劇人の巣窟・劇団民藝の代表ながら多くの大河ドラマで和尚の役を好演したためファンだった俳優・大滝秀治さんの命日です。87歳でした。
野僧が見た大滝さんが演じた和尚は昭和44(1969)年の「春の坂道」の木喰上人、昭和62(1987)年の「独眼竜政宗」の虎哉宗乙和尚、1997年の「毛利元就」の榮秀和尚(元就さんに浄土宗を教化した)、後年にレンタル・ビデオで昭和48(1978)年の「子連れ狼・冥府魔道」では拝一刀に斬られながら允可を与える慈恵和尚ですが、木喰上人と慈恵和尚は記憶が定かでないものの虎哉和尚と榮秀和尚では禿げ上がった自前の頭で演じていて全く違和感がありませんでした。中でも虎哉和尚は片目を失って屈折した梵天丸(後の政宗さま)を教え導く重要な役どころですが、父の輝宗さんの招請を「師の快川は信長に焼き殺された。武将に関わるのは剣呑」と断った後、寺に参詣した梵天丸が憤怒の表情を浮かべる不動明王像を見て「これは化け物か」と守役に問うと横から「怖い顔は悪を懲らしめるためじゃ。不動明王は慈悲深い佛だ」と説き、「梵天丸もかくありたい」と答えて手を合わせたのを見て承諾することを決める名場面は強烈な印象を残し、政宗さまが初陣を迎える時、「もう一つの初陣」と称してまだ手を触れていない妻の愛姫を抱くことを勧めるなど師僧を思わせるような真に迫る禅僧振りを見せてくれました。
大滝さんは大正15(1925)年=昭和元年に新潟県上越市在住の両親の4人兄弟の末っ子として母親の実家の東京の本郷で生まれました。間もなく家族で東京に戻り、昭和18(1943)年に旧制駒込中学校を卒業すると三田の電話局に就職し、20歳になった昭和20(1945)年に召集されて通信兵になりましたが敗戦になったため今度は大手町の電話局に復職して進駐軍の担当になりました。
昭和23(1948)年に帝国劇場で研究生募集の貼り紙を見て(トルストイさんの舞台劇「復活」で感銘を受けていた)応募すると東京民衆劇場付属俳優養成所に入所することになりました。しかし、大滝さんの甲高いかすれた声を劇団の創設者の宇野重吉さんが「壊れたハーモニカのようだ」と酷評したため演出に回されました。
昭和25(1950)年には東京民衆劇場が分裂して劇団民藝が独立したのに参加して役者に復帰しますが端役と裏方が続き、昭和45(1970)年になってようやく東京裁判を描いた舞台「審判」で主演に抜擢されたのです。すると紀伊国屋演劇賞の個人賞を受賞して一躍劇団民藝の看板役者の1人になりました。
一方、舞台劇では端役、裏方しか与えられませんでしたが、当時は各映画会社が主役級の役者を売り出して専属にしていたため人数合わせの端役は劇団から集めるしかなく、大滝さんも映画会社を選ばず数多くの作品に出演しています。
この他にも昭和52(1977)年の「八甲田山」、同年の「人間の証明」、昭和53(1978)年の「皇帝のいない八月」、同年の「野性の証明」、同年の「聖職の碑」や高校時代に見る羽目になった角川映画の金田一耕助シリーズなどに出演していて、テレビ・ドラマと合わせれば完全に顔と声(CMのナレーションも多数)を刷り込まれています。

  1. 2022/10/02(日) 15:34:20|
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