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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ266

「梢、間に合ったな。まだ生きてるぞ」日本に到着した梢はヨーロッパではほぼ全面解除になっている新型コロナウィルス感染症の防疫対策に苛立ちながらも数日後には首里のマンションに到着した。すると両親の寝室に置いてある介護用ベットに寝かされている父は妙に達観したような言葉をかけてきた。父は数年前に膵臓癌で逝った南城市の玉城松栄の病状と死に際を淳之介から聞いてからは梢の父親らしく自主研究してきたので今回の診断で病名を宣告された時に死を覚悟したようだ。それは梢も同様だが母は険しい顔で首を振りながら「梢は疲れているのだから」と父をたしなめた。
「梢は片づけがあるから貴方は寝なさい」「うん、これからは死ぬまで傍にいてくれるから安心して眠られるな。そのまま目が覚めなくなっても幸せだ」母は枕元に並んでいる機材の数値を確認すると父に眠るように促した。癌患者は点滴を受けている鎮痛剤の影響で半分眠り、半分醒めている状態になるものだが、父の意識はいつものように明確に働いている。これなら最期の語らいで多くの遺訓を受け取ることができそうだ。
「梢、モリヤさんはお前とのことをどうするつもりなんだ」梢が母に代わって父のベッドの枕元の椅子に座って本を読んでいると意識が戻った父が声をかけてきた。今までこの問題で単刀直入な質問をされたことはない。父は死ぬ前に娘の今後の人生を確かめておきたいらしい。
「旦那さんは何も言わないけど私の心に伝わってくることがあるわ。この間日本に来た時、旦那さんは佳織と離婚の話し合いをするつもりだったみたい。でも私が『それだけは駄目』って念を送ったから止めたのよ」「昔からお前とモリヤさんは心と心がつながっていたが、そこまで強力な回線になってるんだな」「うん、言葉の会話は単なる確認手段よ」梢の自慢げな答えに父は苦笑した。梢とモリヤがつき合っていた頃、父は八重山の離島に呼んで話し合ったことがあるが、2人の相互理解は一心同体状態で会話を超えた結びつきを実感した。だから梢はモリヤが両親と伯父母の執拗な反対で苦悩し、追い詰められて心中を口にするようになるとそれが本気であることを察して身を引くことを決めたのだ。
「それでお前は今のままで良いのか。戸籍上も夫婦になっておかないと老後の公的サービスで不利になることが多いぞ」「私は出会った時からモリヤニンジンの妻なの。今更、籍にこだわるのはその自信を否定されるみたいで嫌だわ。勿論、旦那さんの気持ちは有り難いけど佳織が望まない限り、妻の座を奪うつもりはないよ」梢の説明に父は難しい顔をして深く息を吸った。現時点では酸素吸入は必要ないが、それも何時までなのかは判らない。
「それを知っててモリヤさんが離婚しようとしたのには別の理由があるんじゃあないか」「佳織は定年退官したらハワイに帰ってアメリカ国籍も取得するつもりだから日本には戻ってこないの。以前は旦那さんもそのつもりだったけど私と暮らし始めて沖縄への愛着が蘇ってしまって、今はオランダの仕事を辞めたら八重山で弁護士事務所を開くことに決めているわ」「八重山かァ、石垣市にも地裁の支部があるから弁護士の仕事はあるんだろうけど大したことはないぞ」「収入は自衛隊の年金があるから心配ないみたい」父の頭は円滑に働き過ぎて死を前にした人物との対話ではなくなってきた。
「どうせならこのマンションに住んで那覇市内で事務所を開いてくれれば良いんだがな」「お母さんに何かあれば私がこのマンションを相続することになるけど、旦那さんは中国の手先のマスコミと公務員労組が支配している沖縄本島に住むのは嫌なのよ」「それは口で言われたのか」「ううん、これも心に聞こえてくるの」今度の返事に父は呆れながら感心してしまった。モリヤが本土に転属した頃から梢は「心の会話が聞き辛くなった」とこぼしていたが、後で確認したところでは距離が伝播範囲から外れたことが原因だったようだ。しかし、これほど2人の絆が強固になっているならばオランダと沖縄でも遠距離通話が可能なのではないか。元教師の父としては是非実験してもらいたいが興味本位の依頼は控えることにした。
「そうなるとお母さんの方を八重山に移住させるべきなのかな。中古でもこのマンションを売れば石垣市のマンションなら買えるだろう。どうせウチの墓は恵昇が死んだ時に買った市営墓苑だから由緒も何もない。八重山に墓地を買い直してワシと恵昇の遺骨を移してくれれば十分だ」「そうなると淳之介とあかりが住んでる雲島になっちゃうわよ。あの子たちも雲島に永住しそうな雰囲気だから」「八重山の離島はワシには安住の地だ。雲島なら亀甲墓を作ってくれそうだな」最近は沖縄伝統の亀甲墓も「小さな家一軒分に相当する建設費が勿体ない」と敬遠されて市営墓苑も小振りな石造りの屋敷墓だ。一方、父は妊婦の下腹と性器を現し、生まれたところへ返って行くと言う亀甲墓に憧れがあるようだ。やはり遺言になってきたが、残ることになる母=妻の賛同が得られなければ実現させられない。
  1. 2022/10/03(月) 14:32:37|
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