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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6代目・三遊亭円楽師匠の遷化を悼む。

9月30日に「笑点」大喜利のメンバーでは浅黒く日に焼けて一番健康そうだった6代目・三遊亭円楽師匠が肺癌で遷化したそうです。円楽師匠は2016年に群馬県前橋市の曹洞宗の寺で得度を受けていて戒名の位階は出家者の「上座」です。72歳でした。
野僧は高校時代、それまで文化祭ではイルカさんに始まり、ケンとメリーのスカイラインのCMソングだけがヒットしていたバズなどのフォーク歌手を呼んでいたのを生徒会役員の職権乱用で5代目・三遊亭円楽師匠に変更したほどの落語ファンなので実力者を失うのは残念です。ちなみに文化祭では弟弟子の三遊亭賀楽太さん(現在の楽之介師匠)が前座で三遊亭楽松さん(現在の鳳楽師匠)が膝変わり=トリの前でした。
円楽師匠は昭和25(1950)年に東京の墨田区両国で生まれた江戸っ子です。噺家が高座で語る経歴については洒落と実話が混在しているため真偽不明なのですが、「家が貧乏で喰うに困って空き缶拾いで小遣いを稼いだ」と言う苦労話は父親が安定した収入の公務員の警察官なので眉唾ものです。実際、深川高校を卒業すると学費は決して安価ではない青山学院大学の法学部に進学しています。
大学では落語研究会(おちけん)に所属して、そこで5代目・円楽師匠の鞄持ちのアルバイトに応募したことで原稿の口述筆記や清書などの才覚を認められて付き人になり、昭和47(1972)年の卒業を待って正式に入門(それまでも寄席で下働きをしながら高座にも上がっていた)すると楽太郎の高座名を名乗ることになりました。なお、この高座名は「円楽一門の長男」を意味していますが、兄弟子の楽松さんは円楽師匠の「楽」と大師匠の6代目・三遊亭円生師匠の本名の「松尾」から取っていますから立場=格が逆転した訳ではないようです。
昭和51(1976)年に二ツ目に昇進すると昭和52(1977)年からは三遊亭円窓師匠(今年の9月15日に亡くなった)の後任として笑点の大喜利のメンバーになり、一時降板していた5代目・円楽師匠の薄紫色の着物と紋付(落語用語でモノキ=脱いだ紋付は退場の合図に使う)を継承することになりました。以降は大学卒の学歴を臭わせるインテリ風の回答や計算高い立ち振る舞いで「腹黒」のキャラクターで売り出して存在感を増し、昭和55(1980)年に4代目・三遊亭小円遊師匠が亡くなってからは格上の大真打・桂歌丸師匠と対等な渡り合いを演じて昭和56(1981)年の真打昇進が「今頃」「まだ真打じゃあなかったの」と遅きに失した印象を与えました。
2009年に5代目・円楽師匠が亡くなると2010年に名跡を受け継いで6代目・円楽になりましたが、5代目の存在感が大きく、6代目も楽太郎として活躍していたため、中々「6代目・三遊亭円楽」の名前が定着しませんでした。
色黒で健康体に見える6代目・円楽師匠は2018年に肺癌の手術を受けてその後も転移が続き、2019年には脳腫瘍が見つかり、今年の1月には脳梗塞で入院するなど近年は病気続きで体調が心配されていました。笑点の大喜利の噺家のメンバーで出演中に亡くなったのは前述の4代目・小円遊師匠以来2人目です。冥福を祈ります。合掌。
  1. 2022/10/04(火) 14:55:41|
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