10月2日に野僧も高校時代に単行本を買って愛読していた劇画「青春山脈」の作者・かざま鋭二先生が亡くなったそうです。75歳でした。
野僧の蒲郡高校は駅から学校まで距離があったため歩きながら色々な話題を議論するのが伝統で政治、国際情勢、軍事などの青臭い書生論や歴史、倫理(哲学)、生物、地学などの授業で習わない知識の披露から芸能、音楽、スポーツ、芸術、自動車、バイクなどで唾(つばき)を飛ばし合いましたが、やはり色気盛りの若造の集団だけに女性の話題では大いに盛り上がりました。と言ってもオカズは同級生と先輩後輩、他校の女生徒からアイドル、女優に歌手、モデル、外国の女優や歌手、モデルまで日替わりでしたが意外に激論になったのが「漫画に登場する女子で誰が一番美人か=本当に抱けるなら誰を抱きたいか(当時の高校生が女性を語れば結論は必ずこれだった)」でした。
その時は記憶しているだけでも古くは「巨人の星」の星明子や日高美奈から「愛と誠」の早乙女愛、高原由紀、アリス、「野球狂の詩」の水原勇気、「けっこう仮面」の夏綿けい子、「うる星やつら」のラム、「ダミー・オスカー」の誰でも、「750ライダー」の委員長、「1、2の三四郎」の北条志乃、「セクサロイド」のユキ7号など百花繚乱になりましたが、野僧が名前を上げたのは「青春山脈」の水上晶子でした。
「青春山脈」は熊本県の阿蘇山麓出身の火野直彦、正人兄弟を主人公にした長編劇画で、水上晶子は兄の直彦が海軍兵学校に入校中に水上男爵邸での会食に招かれて知り合い、恋愛関係に発展して性的関係を持ち(いわゆる青姦で)妊娠しますが、直彦は会食の席で諍いに巻き込まれた東方財閥の会長の圧力でサイゴンの「見殺し部隊」に配属され、運良くフィリピンに逃れたものの上官の策謀で乗り込んだ爆装した零式艦上戦闘機でアメリカ艦に突っ込み、特別攻撃1号になって戦死します。そのため晶子は敗戦によって水上家が没落した中、1人で直彦の忘れ形見を産み、花屋を営みながら育てている女性でした。
ただし、この作品は梶原一騎先生原作だけに敗戦後は火野正人が任侠の世界に踏み込みながらプロレスが絡むの滅茶苦茶な展開になってしまい正人が網走刑務所から出所してから阿蘇山の火口から身を投げる最終回まで単行本は購入しませんでした。
かざま先生は敗戦後の昭和22(1947)年に東京で生まれ、後に少し変態的な劇画「堕靡泥の星」を書くことになる佐藤まさあきさんのアシスタントを勤めながら昭和41(1966)年に貸本漫画の「その名はゼロ」を発表しました。続いて「いなかっぺ大将」や「巨人の星」「アニマルワン」などの川崎のぼる先生のアシスタントになると昭和44(1969)年に「栄光への5000キロ」を少年キングに連載しました。
その後は昭和50(1975)年の「純愛物語」や「海商王」などの読み応えがある作品を発表していますが、「おれの甲子園」、と「野球魂」の野球漫画や「Drタイフーン」と「風の大地」のゴルフ漫画などスポーツを題材にした作品が多く、描写力に優れた画風が活かし切れてなかったように思います。ヒョッとしてストーリーを構想するのが苦手だったのかも知れません。冥福を祈ります。

青春山脈・水上晶子
- 2022/10/06(木) 16:04:12|
- 追悼・告別・永訣文
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