続・振り向けばイエスタディ２７３

「ロシアが軍事介入する可能性があります」東京の首相官邸では石田政権の閣議が開かれていた。閣議の冒頭に立野官房長官がアメリカから届いた緊急情報を説明した。大使名で届いた情報であれば双木外務大臣の所管だが、将官の防衛駐在官と連名になっていたため立野官房長官が担当したようだ。以前に自衛隊の非合法情報組織からも統合幕僚監部に報告が入り、陸海空幕僚長には伝達しているのだが、釜田防衛大臣に知らせると不用意にマスコミに漏洩する危険性があるため秘匿していた。そのため閣議室の楕円形の机の席に座り、配ってあった資料でこの議題を知った釜田防衛大臣は驚いて固まってしまい、非公式な事実では蚊帳の外に置かれていることを自ら暴露してしまった。
「それでは双木外務大臣から説明してもらいましょう」立野官房長官は複数の省庁にまたがる案件の慣例上、議題の紹介だけを行い主幹の双木外務大臣に説明を譲った。実は統合幕僚長は旧加倍派の政策研究会で知己を得ていた立野官房長官には伝えていたのだが、崇神航空幕僚長を退官に追い込んだ時の釜田防衛大臣の軽率な言動に対する制服組の不信感が根深いことを耳打ちしていた。海上幕僚監部では釜田防衛大臣の再任を第２次世界大戦中に平時と同じく海軍兵学校の期別と卒業序列を基準にして実戦経験が乏しい提督を作戦の高級指揮官に据えた島田繁太郎海軍大臣を揶揄する「島田人事」をもじって「石田人事」と陰口を叩いている。
「官房長官のご指名により説明させていただきます。現在、国連の安全保障理事会では引き続き中国が常任理事国として我が国に懲罰権を行使していることに関する事実認定と可否を審議しています。これまでの議事内容についてはお手元の資料をご覧下さい」双木外務大臣の案内で閣僚たちは日付と議事内容を枠内に箇条書きにした一覧表に目を落した。ただし、釜田防衛大臣だけは双木外務大臣の説明を聞かないで資料を必死になって読んでいた。このように小事に引っ掛かって大事を見逃すようでは戦時の指揮官は務まらない。崇神騒動の時も記者の囲み取材を受けて「支那事変における日本の戦争責任を否定する作文の内容が外交問題に発展する」と追及されると「自分の保身のためには厳罰に処するしかない」と思い込んで法令や規律違反を犯していない最高位にある将官を「懲戒免職にする」と断言したのだ。
「この中で注意していただきたいのはロシアと中国が一貫して韓国軍の自衛隊に対する武力行使を肯定して、我が国が科学的に虚偽を証明した事実まで詭弁を弄して否定していることです。それは尖閣諸島における化学兵器の使用についても同様でした」「例の拳銃の大量持ち込みについては問題にならなかったんですか」「あれはアメリカを通じて議事とするように要求したのですが、我が国の国内問題として受け付けられませんでした」双木外務大臣の説明に立野官房長官は口の中に苦虫を１匹放り込み、石田首相は無表情に資料を読んでいた。
「それが最近は中国が日本の鑑識は全て虚偽であると断定するようになり、アメリカが科学分析に協力したのなら『戦争犯罪の共犯だ』と言い出して、ロシアもそれに同調しています。さらに一昨日にはアメリカが中国や北朝鮮を核で威圧するのならロシアも全面介入する。世界は核戦争で滅亡すると恫喝しました」核兵器の話題になると石田首相は条件反応して厳しい視線を何故か説明した双木外務大臣に向けた。資料を読んでいても耳は働いているようだが頭の切り替えまでは追いつかないらしい。その点、釜田防衛大臣は顔も上げていない。
「だから私はコンクリート爆弾を投下するのに戦略爆撃機と使うことに反対したんだ。おまけにアメリカ軍は嘉手納とフィリピンにＢー５２を展開させただろう」「Ｂー２です」「そうだＢー２だ。あれが中国に対する核による威嚇と言う口実を作ってしまったんだ」立野官房長官は「Ｂー２だったから鉛を混入させたコンクリートを詰めた１トン爆弾１６発を投下して１回の作戦で原子炉が封鎖できたのだ」と説明しようかと思ったが、石田首相の自分の核問題の熱弁に酔っている横顔を見て黙って聞き流した。
「総理のご意見は承りましたが現実の問題に戻ります。この事態を受けて在ロシアと在中国の大使館に調査を命じたところ公安当局と思われる人間が公然と妨害を加えてきて家族にも危害が及ぶ可能性があります。そのため外交官と在外公館警備管を除く一般職員の家族は一時帰国させるように指示しました」「外交官の家族は危険に晒しても良いのですか」「外交官の家族は大使館内に居住させることとします。これはロシア、中国方式ではありますが」双木外務大臣は女性閣僚の指摘に補足説明しながら苦笑した。外務省は加倍政権当時、上海領事館員自死事件を教訓にロシアと中国、北朝鮮（韓国も噂はある＝それを理由に女優が自死した）が常用しているハニー・トラップに対抗して風俗嬢を使った同様の籠絡方法を研究したことがある。しかし、これらの国は全職員を大使館近辺の指定宿舎に居住させて通勤も公用車で送迎するなど外部との接触を完全に遮断していることが判明して、断念したことがあるのだ。