「問題は防衛出動が発令されていない平時に輸送機を撃墜させればパイロットは刑法の殺人罪に問われることだ」「撃墜命令を下した者も殺人教唆になるな」「下手すれば伝達したディレクター(兵器指令官)も殺人を止めなかった共犯者にされるぞ」唐突に航空自衛隊の独壇場になってしまった。航空自衛隊は平時にも国内法に束縛され、外交問題に直結する対領空侵犯措置を実施しているだけに対応の限界と影響は現実の問題なのだ。
「ウチにも北キボールPKOで現地人暴徒を3人殺して刑法199条の殺人と93条の私戦の予備陰謀、94条の中立命令違背で刑事告発された人物がいたが、輸送機に搭乗している空挺部隊を皆殺しにすれば間違いなく死刑を求刑されるな」「彼を告発したのは閣下の大学の先輩でしたな」東京大学卒の陸上幕僚長がその本人のモリヤニンジン元2佐の定年退官の申告を受けた時に興味を持って調べた記憶を披瀝すると防衛大学校出身者の1人が嫌味を返した。モリヤ元2佐を刑事告発した社人党の徳島水子参議院議員は東京大学出身の弁護士なのだ。
「つまりこのまま防衛出動が発令されなければ現場に逃れようがない強制力を与える形で撃墜命令を下しておく必要があります。ただし、発令者は殺人教唆で刑事告発されることを覚悟しなければなりません」ここで航空総隊司令官が次善策を提言したが、その顔は自分が発令する覚悟を決めているようだ。すると航空幕僚長と統合幕僚長が反論した。
「その命令は組織の長が下すべきだろう。航空幕僚長名で発令しよう」「空自単独の問題ではない。私の命令にする」自衛隊の将官たちの議論を通訳させている在日アメリカ軍の第5空軍司令官と第7艦隊日本派遣隊司令官、在沖縄海兵隊司令官は日本の特殊事情を理解し、悩まされているだけに同情したような目で3人を見回した。
「外務大臣が到着されました」「外務大臣にも儀仗を辞退していただいています」そこに航空総隊司令部監理部長が入室して双木外務大臣の到着を報告すると航空総隊司令官は自衛隊側の出席者に説明した。今回の会議では陸上自衛隊北部方面総監は北部方面航空隊のヘリコプターで三沢基地に移動して海上自衛隊の大湊地方総監と航空自衛隊の北部航空方面隊司令官と共にアメリカ軍の輸送機に同乗してきた。仙台の東北方面隊総監と首都圏の各幕僚長や陸上総隊司令官、自衛艦隊司令官は自動車移動だった。自衛隊の礼式の規定では将官の基地への公式訪問では儀仗と栄誉礼を実施することになっているが、横田基地を監視している組織・活動家に多くの将官が集合していることが察知されれば自衛隊の新たな動きを疑わせることになりかねない。そこで今回は全員に辞退させたのだ。しかし、林外務大臣の基地訪問は非公式だ。
「閣下、お目にかかれて光栄です」監理部長は正門の警衛隊員から連絡を受けたらしく自動車移動の所要時間で漫画「のらくろ」のブル連隊長のような風貌の双木外務大臣が入室してきた。双木外務大臣は正面に開けてある中央の席に案内されると先ず在日アメリカ軍司令官に流暢でネイティブな英語で挨拶した。双木外務大臣は東京大学を卒業してハーバード大学院に留学している。おまけに双木大臣の妹と東京大学の同級生で現在は山口大学教授の妻もマサチューセッツ工科大学院に留学しているので日常会話でも英語が混じっているのかも知れない。
「今日の重大会議に部外者が邪魔させてもらいます」双木外務大臣は第7艦隊日本派遣隊司令官、在沖縄海兵隊司令官に続いて自衛隊の将官たちに声をかけた。双木外務大臣は自民党内では万能大臣と呼ばれているように文部科学大臣や農林水産大臣などの不祥事を起こした省の改革を託されて大臣を歴任しているが、軍事オタクの岩場防衛大臣に取り入った事務次官以下の高級官僚が防衛産業と癒着して利権をむさぼった不祥事に加えてイージス護衛艦と漁船の衝突事故で記者の囲み取材を受けて要求されるままに謝罪したことで隊員の信用を完全に喪失した不祥事の後に防衛大臣にも就任している。だからこの席に違和感はない。
「大臣、単刀直入に伺います。ロシアが軍事介入するまで防衛出動は発令されないんですか」統合幕僚長は議長としてここまでの議事内容を説明した後、自分で断った通り単刀直入に質問した。双木外務大臣も議事内容を聞いてロシアの軍事介入が現実味を帯びている中、自衛隊が合法的に防衛力を行使=組織的殺人を実施できる防衛出動の発令が必要不可欠であることには同意している。現在も防衛出動待機命令や治安出動、海上における警備行動などの可能な限りの法的対応を採っているが、所詮は戦争だけでなく大規模な争乱や災害などの国家的非常事態を想定していない日本国憲法の呪縛から踏み出すことはできず、その結果、海上自衛隊と航空自衛隊、海上保安庁と警察は多大な犠牲を供じている。
「ロシア軍が領空・領海を侵犯した時点で即座に発令できる準備を整えておくことだが・・・」双木外務大臣は現実的に可能な最善策を言い掛けて口ごもった。どうやら双木外務大臣も国民だけでなく政権中枢でも危機意識が欠落していることに絶望的な気分になっているらしい。

「のらくろ」のブル連隊長
- 2022/10/14(金) 15:04:15|
- 夜の連続小説9
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0