「第2航空団補給隊、玉城美代子曹長以下23名、警衛勤務に上番します」次の日曜日の朝、第2航空団補給隊需品班長の玉城美代子曹長は勤務割の通り警衛隊長に上番した。平日であれば管理隊長に行う上下番申告は休日なので基地当直幹部になるが、今日は管理隊長が上番している。今までも玉城曹長が上番した日に管理隊長が基地当直幹部に就くことが多かったのは指揮能力への不安から勤務割を作成する担当者が調整してこのような組み合わせにしているのかも知れない。防衛出動待機命令が発令されて以降、航空自衛隊の多くの部隊では警衛隊とは別に基地警備隊を編成して重要施設に配置していたが事態の長期化に伴って縮小され、クレイムアの設置と警衛隊員に短機関銃と実弾を携行させることで対応するようになっている。
「玉城曹長、日曜日の警衛隊長は長いけどよろしく頼みます。受付や警備小隊のWAFにも気合いを入れてやって下さい」「はい、私も間もなく付ですから遺言代わりに今回は色々話したいと思っています」管理隊長は先ず平日であれば夕方に上番する警衛隊長勤務が休日は朝から24時間になる労をねぎらった。基地当直幹部は朝8時に国旗掲揚を指揮するが今日は日曜日なのでそれがなく、上下番の引き継ぎが終わり、当直室に集まった第2航空団を含む基地所在部隊の当直幹部たちの上番申告も受け終わっているので時間に余裕があるようだ。
「特に警備情報の申し送りはないがロシアの動向が気になる。飛行群と装備隊の武器小隊は基地内待機させる初動対処要員を増員している。非常呼集を発令する事態になる可能性も忘れないでおいてくれ」「はい、覚悟は決めています」管理隊長は2人で警衛所に入ると気さくに隊員たちに声をかけながら玉城曹長に指示を与えた。かつての管理隊長は輸送幹部として交通事故防止だけに固執して警備小隊には服務事故防止と警衛勤務の躾け以外に関心を示さなかった。ところが第3術科学校に警備課程が設置され、その存在意義が実戦的猛訓練として提示されるようになると輸送幹部課程に入校中に戦闘員としての使命感に目覚めさせる効果を生んでいる。特に第2航空団管理隊長は基本的に若手の3佐が配置されるので意識改革は早い。
「受付の長崎士長」「はい、長崎士長」管理隊長が出ていくと玉城曹長は警衛所でも正門側の受付席に座って背中を向けているWAFに声をかけた。すると長崎士長と呼ばれたWAFが回転椅子で回って振り返った。玉城曹長が空士の頃なら立ち上がって姿勢を正すところだが世代以前に教育隊での躾けが違う。玉城曹長は少し目つきを厳しくして長崎士長の顔を見た。
「貴女は口紅を差してないわね。受付勤務なら常識でしょう。すぐに差しなさい」「口紅は持って来ていません」「どうして。男性隊員が髭を剃るようにWAFが口紅を差すのは身嗜みなのよ。昼食の後にも化粧を直さなければならないでしょう」玉城曹長の指導に長崎士長は母親から叱責されている反抗期の娘のような顔になった。
「教育隊でもそんな躾けは受けていません」「貴女は婦教隊(婦人自衛官教育隊)が防府に行ってからのWAFだからそんなものね。WAF隊舎には外出用に置いてあるんでしょう。誰かに持ってきてもらいなさい。これは警衛隊長としての命令よ」「はい、長崎士長」玉城曹長は千歳基地では生活指導に当たるWAF先任空曹を兼務しているので「命令」と言われれば職場の上司以上の強制力がある。長崎士長は前を向くと受付の電話でWAF当直に連絡を入れて玉城曹長の命令を伝えた。その口調が不満を全く感じさせないのはWAF特有の「不満分子迫害」を回避するための予防措置だろう。婦人自衛官教育隊は当初、入間基地に設置されたが、この頃は興味津津の男性隊員に「新隊員には絶対に手を出すな=ナンパするなら部隊配置になってから」と言う厳命が徹底されていて清く正しく美しい宝塚のような雰囲気だったと言う。教育内容も試行錯誤の中で茶道や華道、書道に香道から和服の着付と日本舞踊に琴まで取り入れられて花嫁学校化していた。ところが1990年に防府南基地に移動してからは先ず指導に当たる空曹空士が野獣のような教育職の男性隊員の餌食になり、続いて入隊してきた新隊員たちも次々に試食され、やがて男女の新隊員同士の集団ナンパが繰り広げられるようになった。こうなれば女性としての美意識、躾を指導できるはずがない。
「綺麗よ。こんな綺麗な受付に出迎えられれば基地に抗議に来た人でも声を荒げることはできないでしょう」トイレの鏡で化粧を終えた長崎士長が点検を受けると玉城曹長は賞賛した。その後、玉城曹長は「興奮したデモ隊も女性警察官の前では大人しくなる」と警視庁が女性警察官中心の機動隊を創設した経緯を説明し、単なる躾ではないことを理解させた。実際、現在のヨーロッパで女性の政治家が増殖しているのはアメリカと違って男性記者が多数派のヨーロッパでは女性の政治家に対する激しい追及や厳しい批判は「紳士的ではない」と控える傾向があり、その結果、批判的報道に晒されない女性の政治家の支持・人気が上昇し、政党側も利用するようになったことが理由なのだ。そのような時事の話題も雑談の中でWAFたちに語った。
- 2022/10/16(日) 14:25:22|
- 夜の連続小説9
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