9月27日に東京で行われた国葬では岸田首相が無能ぶりを晒し、それにつけ入ったマスコミによる数字の操作=偽造の疑惑が極めて濃厚(事前に電話をかけるコンピューターに反対派の電話番号を入力しておけば簡単にできる)な反対世論を背景にした野党、特に立憲民主党の追及に呼応した市民団体を自称する政治組織が追悼行事の最中に会場付近でシュプレヒコールを上げる暴挙によって取材していた外国人記者が「日本人は分裂している」「安倍首相の支持基盤は必ずしも一枚岩ではなかった」と誤解する結果を招き、生命を賭して日本のために尽力した安倍晋三元首相の魂魄が安心して往生できない政治状況が生起し、現在も継続しています。
そんな10月15日の土曜日に山口県では国葬と同時期に県知事が表明していた県民葬が下関市の海峡メッセで催されました。ちなみに山口県の県民葬は1回目が佐藤栄作元首相、2回目は公選の山口県知事としては唯一の東京大学ではなく(京城大学卒)、亡くなる2カ月前まで6期在任した橋本正之県知事、3回目は岸信介元首相、そして4回目が経歴としては極めて異例の安倍元首相の父・安倍晋太郎元外務大臣です。
安倍元首相が暗殺された時、過半数が反対している国民は東京や現場になった奈良だけでなく全国各地に設けられた献花場や記帳所、遺影を飾った慰霊所に沈痛な面持ちで長蛇の列を作って長時間並びましたが、山口県ではそれまでの気象台が6月中旬に梅雨明けを宣言するほど雨が降らない異常気象が安倍元首相の訃報が伝えられた翌日から1週間弱の大雨になり、県民の多くが「天も泣いている」と潤んだ空を目で見上げていましたから県内が慟哭の淵に沈むと思われました。ところが遺骨を抱いた昭恵夫人が入場して県民葬が始まるとテレビ中継でも式場が国民葬以上に厳粛な追悼の空気に包まれたことが伝わってきましたが、喪主挨拶で昭恵夫人が「信じられないような思いの中で日々が過ぎていき、先日は立派な国民葬を挙行していただき、段々と実感が湧いてきて、本当にいなくなってしまったんだなと寂しさが増しているような日々です」と述べたように県民もようやく巨大な喪失感を事実として受け止めて涙が乾いた目に目薬を差したように癒えた哀しみを蘇らせ、あらためて慟哭させるような行事になりました。
その一方でNHK山口局を含む地元マスコミは主催者発表で80人から60人なので実際は20人程度の反対派のデモを東京並みに報道し(参加者が少ないのでカメラが振れず、10人ほどの参加者を固定して撮影していた)、新聞のインタビュー記事でも追悼の言葉を述べた回答者よりも「税金の無駄遣い」などの反対意見の方を多く掲載するなど「山口でも反対派がいる」と強調するような紙面造りをしていました。
それにしても森加計問題の時、東京の批判派に迎合する=指令を受けた広島と小倉の売国奴・非国民たちが昭恵夫人の選挙応援の講演を妨害しようと下関市に乗り込んできたものの会場周辺を屈強な支持者たちが固めているのを見て「下手すれば殺されて玄界灘に捨てられる」とビビッて退散しましたが、今回は追悼の式なので騒ぎを起こすことは控えて黙過したようです。
- 2022/10/17(月) 15:08:28|
- 時事阿呆談
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