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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

ザ・ドリフターズ・仲本工事さんの逝去を悼む。

祖父=師僧は中学・高校で体操の選手だった割に徹底的に器械体操が苦手で嫌いな野僧は率直に敬意を抱いていたザ・ドリフターズの仲本工事さんが前日の交通事故による急性硬膜下血腫で10月19日に亡くなったそうです。81歳でした。
仲本さんは昭和16(1941)年に東京の渋谷で生まれました。両親はシマンチュウ(沖縄県人)で、本当は野僧が再婚するはずだった沖縄の女子はモンチュウ(同族)だったそうです。中学生の時に体操選手だった担任教員の影響で体操を始めて渋谷区の大会で団体優勝しています。都立青山高校に300人中7番の成績で合格すると1年の東京都の新人戦では個人総合4位になり、卒業まで活躍したようです。
大学は学習院大学の政治経済学部で昭和の陛下の次男・常陸宮妃で津軽家出身の華子さんは1学年上ですが面識があったのかは不明です。
学習院大学には体操部がなかったため元々得意だった歌で活躍しようと独学でギターを練習し、友人に誘われて入ったジャズ喫茶でステージに飛び入り参加したことでバンドに加入することになりました。このバンドでは加藤茶さんがドラムを叩いていました。続いてジェリー藤尾さんのジャズバンドの第2歌手に応募して合格しましたが、このバンドでは高木ブーさんがバンジョー奏者でした。高木さんは現在もウクレレ奏者として活躍していますが、あまり知られていない仲本さんの歌唱力を高く評価していました。
大学を卒業してバンドの第2歌手とギター奏者として活動していた昭和40(1965)年に高木さんが友人のいかりや長介さんから「ザ・ドリフターズのギター奏者も探している」と相談されたため2人で加入したのです。ザ・ドリフターズは昭和41(1966)年のビートルズの来日公演では前座を務めましたが、仲本さんはリード・ボーカル兼ギターを担当しました。
そうして昭和44(1969)年に「8時だヨ!全員集合」が始まるとザ・ドリフターズは音楽バンドからコントグループに路線変更しますが、仲本さんはコント劇では馬鹿正直ゆえにドジを踏む加藤さんに対して「要領よくリーダーに媚を売る小利口な奴」や「内心、何を考えているのか判らない理解を超えた奴」を演じていました。また抜群の歌唱力を持っていながらザ・ドリフターズが発売したパロデイー・ソングでは目立つ存在ではなく、加藤さんの引き立て役に徹していたように感じました。ちなみにいかりやさんによると仲本さんはギャグを考える抜群の才能があってもコントにあまり関心がなかったため工夫する熱意に欠けていたそうです。
しかし、野僧の記憶に残っているのは「8時だヨ!全員集合」で見せた鉄棒やマット運動の妙技で、黒ぶちメガネ(度は入っていない)をかけて運動は得意そうではない仲本さんが大車輪や空中回転を軽々と演じるのには思わず拍手をしてしまいました。
仲本さんは10月18日に横浜市西区の信号機がない横断禁止の交差点を横断中に乗用車にはねられて頭を強打したことが死因になりました。それでも1日半の昏睡時間があったため親族・友人が集まることができて看取られて亡くなったそうです。冥福を祈ります。
  1. 2022/10/22(土) 13:53:58|
  2. 追悼・告別・永訣文
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