10月25日に衆議院本会議で行われた故・安倍晋三元首相に対する野田どじょう元首相の追悼演説を聞いて思わず落涙してしました。
この追悼演説は自民党では当初、これまでの対立政党の代表が行う慣例に背いて盟友だった甘利明元幹事長を起用する方針でしたが、それも国葬を拒否して海外のマスコミに安倍元首相が最も悲しむであろう「日本人が分裂している」との誤解を与える暴挙に出た立憲民主党・泉健太執行部に任せれば政治信条を異にしても慎んで故人を悼む美風まで政争の具にして現在、国会で繰り返している死者を鞭打ち、辱める暴言を口にする惧れは十分にあり、予防措置としては当然でした。しかし、野田元首相は立憲民主党執行部の方針に造反して国葬に出席したので自民党としても信用する気になったのでしょう。
そしてアッキー=昭恵夫人に抱かれた遺影が傍聴席で見守る中で始まった追悼演説の冒頭で野田元首相は前任者であるのと同時に政権を奪還された敗軍の将であり、何よりも1993年に初当選した同期であることを語って現在の立憲民主党内では要職に就いていない自分が追悼演説を行う由縁を説明しました。
野田元首相は当選して初めて当院した時、多くの記者に取り囲まれてフラッシュを浴びている安倍議員を見て「眩しい」と感じたと回想していましたが、そんな政界のスーパースターに対して田圃の泥の中に棲む「どじょう」を自称するようになったのかも知れません。
そして政権を奪還された後の皇居での認証式では前任の首相として認証状を手渡す役になり、それまでは控室で勝者と敗者の2人だけで待つことになったそうです。当然、控室は重苦しい空気に包まれたのですが、安倍元首相が立ち上がって歩み寄り、「お疲れさまでした」「野田さんは安定感がありましたよ」「あの捩れ国会でよく頑張り抜きましたね」「自分は5年で返り咲きました。貴方にいずれそんな時がやってきますよ」と声を掛けてくれたと密室での秘話を紹介すると議場にも鼻をすする音が聞こえ始めました。
その一方で安倍元首相が持病の悪化で退陣した時、野党だった野田元首相は街頭演説で「途中でお腹が痛くなっては駄目だ」と暴言を吐いたことを告白して謝罪すると演台で深く頭を下げたのです。こうして厳粛な追悼演説が進むとやがて口調を強くして「再びこの議場で貴方と言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」と締め括り、最後に「戦い続けた心優しい一人の政治家」と評しました。ところが立憲民主党の刈り上げSMの女王はこの演説を称賛しながら最も重要な一節を「勝ちっ放しではないでしょう」と全く意味が違う紹介をしていて本当は真面目に聞いていなかったことを自ら暴露しました。
当選同期と言えば共産党の志位和夫委員長は参議院選挙の街頭演説中に訃報を聞き、「当選同期として大きな喪失感を覚えている」と人間味溢れる言葉を口にしましたが、安倍元首相の死後も全人格・全業績を完全否定する政治闘争を主導する党幹部の批判を受けて撤回してしまいました。結果、野田どじょう元首相は男を上げて政治家としての復活の兆しを示し、志位委員長と日本共産党はどじょうも棲まない凍てつく泥沼に沈みました。
- 2022/10/28(金) 15:11:29|
- 時事阿呆談
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