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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ292

「梢、東京のKLMオランダ航空さんから電話さァ」首里の安里家のマンションではリビングの固定電話が鳴り、眠っている父に付き添って雑誌を読んでいた梢に母が受話器を差し出して声をかけた。この言い方は相手が名乗った会社名をそのまま伝えたようだ。実は梢も朝9時5分に成田空港に着いたはずのモリヤから連絡が入らないことを不審に思っていた。モリヤは機体のトラブルで出発が1時間遅れることをアムステルダムからメールしてきていたので、久しぶりに国際電話料金を気にせず声を聞くのを楽しみにしていたのだ。
「東京にありますKLMオランダ航空日本支社の中園と申します。オランダ在住の佛教僧のモリヤニンジンさんが連絡先に指定されている安里梢さんですね」「はい、そうです」中園と名乗った男性社員は梢の返事を聞いて1つ息を呑んだ。顔は見えないが重苦しい雰囲気が伝わってくる。梢も受話器を握り直して深く息をした。
「モリヤさんが搭乗しておられる成田に午前9時5分到着予定の弊社321便がシベリア付近で連絡が着かなくなっています」「夫からは『飛行前点検で不具合が発見された』と聞いていますが事故ですか」梢の質問に中園は即答しなかった。
「オランダの本社としては最悪の事態を含めて可能な限りの確認を進めていますが交信が途絶える直前に妨害電波と思われる強烈な電磁波をアラスカのアメリカ軍が探知したとの情報をNATO軍から入手したようです」「1978年4月20日のコラ半島と1983年9月1日のサハリン上空でソ連軍が大韓航空機を撃墜したようなことが・・・」素人とは思えない梢の答えに中園は搭乗者名簿の職業欄に「佛教僧」と記入してあるモリヤニンジンと言う人物の素性を疑った。この反応は日常会話でこの情報を聞いていなければあり得ないはずだ。
「オランダとロシアは軍事的に対立していませんからそれはないでしょう。その後、321便から本社の運航統制室とオランダ航空当局に連絡を試みた形跡がありますから現段階では事故の可能性は低いと見ています。考えられるのは何らかの非常事態でロシア国内に緊急着陸した可能性です」「むしろ防空軍による強制着陸でしょう」覚悟を決めた梢の口調が冷静になると中園はかえって困惑した。中園の祖母は対米・対英戦で陸軍士官だった夫を失っても実家には帰らず、父親を含む遺児たちを育て上げた。それでいて反戦平和運動は「英霊を冒涜している」と批判していて、特に平成の天皇が中国と韓国、ヨーロッパや東南アジアからの国賓に日本軍の戦争犯罪を謝罪するのを「背信行為だ」と怒り心頭に達していた。
「それでは連絡先が他にもありますので」「はい、お忙しいところ長くなってしまって申し訳ありませんでした」「いいえ、今後は新聞社やテレビ局に情報を公表しますからマスコミの報道で確認して下さい」中園としてはもうしばらく亡くなった祖母を思い出せる毅然とした日本女性との会話を味わいたかったのだが業務には続きがあった。それにしても異国情緒を売り物している沖縄で古き日本の凛とした女性に出会うとは思ってもいなかった。
「終わったわ。有り難う」「KLMって今日、モリヤさんが乗ってくる飛行機でしょう」「うん、あの人が乗ってくる飛行機と連絡がつかなくなっているらしいの」「事故か・・・」梢の前に立って会話を聞いていた母に内容を説明すると父が意識を戻して弱々しく声をかけた。
「今のところ事故の可能性は低いみたいだけどロシア軍の基地に強制着陸させられたらしいわ」「さっきのニュースでは何も言ってなかったわよ」「お前はテレビのニュースを見ろ」父への説明に母が口を挟むと力がこもった口調で命令を与えた。母もうなずいたので梢が時計を見ると民放の昼のニュースの時間だ。梢はリビングへ出て受話器を置くとテレビを点けた。
「昼のニュースです。政府は先ほど緊急記者会見を開き、立野官房長官が日本時間の本日午前9時5分に成田空港港に到着予定だったオランダのアムステルダムを昨夜3時15分(日本時間)発のKLMオランダ航空321便が午前4時頃にシベリア上空で連絡を絶ったと発表しました。これを受けてオランダ航空日本支社も『ロシア軍がNATO軍司令部に対して領空侵犯として強制着陸させたと通告してきた』と緊急発表を行いました。なお、オランダ航空は321便が飛行前点検で航法灯の不具合が発見されたため出発が1時間遅れたもののフライトプランの時間の変更はロシア航空当局に通知してあり、領空侵犯には当たらないと説明しています。日本の外務省は過去にソ連軍やロシア軍が行った同様の事例に鑑み、在日アメリカ軍を通じて撃墜の可能性を含めて情報の収集を進めています。ここで外交安全保障担当の大村記者に話を伺います。大村さん・・・」ここで大村記者はソビエト連邦軍の系譜にあるロシア軍が民航機を撃墜しても「強制着陸させた」と発表してきた前科を解説した。
「お父さん、あの人が死んだら今度こそ後を追うから私が先に、一緒に逝くかも知れないわ」襖越しにニュースを聞いていた母が声をかけると梢は当り前のように決意を口にした。
あ・純名里沙イメージ画像
  1. 2022/10/30(日) 15:26:06|
  2. 夜の連続小説9
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