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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ293

「お母さん、コンビニに新聞を買いに行ってきます」「新聞ならさっき読んでたじゃない」翌日の昼食後、梢は母に声をかけた。癌が末期になった父は完全に栄養点滴になっているので3食は母と交代で調理・喫食しているが今回は梢が後に食べて2時間は休憩だった。梢は午後から近所のコンビニエンス・ストアの店頭に並ぶ本土の新聞を買ってくるつもりらしい。
「本土の新聞が読みたいのよ」「何か違うのかね」「全く違うわ。本当はアメリカの新聞を読みたいんだけど普天間のBX(基地内売店)まで買いに行けないの」珍しく母は判り切っていることを確認してきた。母としては父の容態が急変した時に単独で対応することになるのを避けるため梢の外出には賛成できないようだ。
「ウチの沖縄2大紙では昨日のニュースで言っていた事故で墜落って仮説を勝手に膨らましてKLMが飛行前点検で発見した不具合を『ナビゲーション・ランプ(航法灯)の接触不良』って発表したのを『実際は致命的な故障を応急処置で発進させたことが原因』って決めつけているじゃない。まるで『それが原因で墜落した』って思わせる下手な小説よ」梢はオランダでモリヤと新聞を深読みして時事問題を議論する生活習慣が身についているため元教員の母よりも文脈の奥にある政治的意図を推理する読解力は鍛えられている。その眼力で見るとロシアはKLM321便を撃墜、若しくは強制着陸させた事実を公表する前に搭乗客の家族の不安を徹底的に煽り、諦めるまで追い詰めた上で生存を発表し、「生きているだけで満足」と言う浮かれ気分で原因を追及することを忘れさせる常套手段のように思われる。これは良くも悪くも忘れっぽい日本人の民族性を熟知した心理戦術だ。
「ついでに買ってくるものはないねェ。眠気防止に缶コーヒーでも買ってこようか」「夜食になるクッキーを買ってきて」梢が玄関で靴を履いて声をかけると見送りに来た母は現実的な依頼を返した。最近は鎮痛剤が強くなって父は意識を失っている時間が長くなり、夜間も介護ベッドの隣りに敷いた布団で仮眠し、寝息と心電計の信号音を聞いているだけになっている。主治医は死を迎えるために入院させる時期を計っているが90歳を過ぎている割に生命力が強く、意識が戻った時の思考力も全く衰えていないので、最近は母と「このまま自宅で死なせた方が良い」「心電計が止まってから病院に通報しよう」と話し合っていた。
「梢は全く不安そうに見えないな」「うん、かえって気合いが入ったみたい」母が夫婦の寝室に戻ると父は意識を戻していた。どうやら玄関での会話を聞いていたらしい。父も昨日、梢からKLMオランダ航空から受けた連絡を説明されてモリヤがこの時期に来日した理由が自分の遺言を聞き、最期を看取るためであることに深刻な責任を感じていた。父としては梢が日頃以上に快活に振る舞っているのが自分に心配を感じさせないための演技のように思われて妻に確認したのだが、意識を失っている間の会話でも同様らしく少し安堵した。すると再び意識が遠のき、妻が毛布を直してくれたことも気づかなかった。
「ただいま、クッキーを買ってきたよ」「お父さんは眠ってしまったさァ」梢が家に帰ると母は父の枕元の席で新聞を読んでいた。どうやら梢が指摘した記事を再読して問題点を熟考してみるようだ。梢は買ってきた本土の新聞4紙を見せてリビングに歩いて行った。介護ベッドが置いてある夫婦の寝室で一緒に読むには新聞は大き過ぎた。
「搭乗者名簿が載ってるわね。墜落事故の犠牲者みたい」リビングのソファーで新聞を読み始めると2枚目に搭乗者名簿が載っていた。最近の日本では個人情報の保護が過剰に厳格になっているためこのような一覧表の掲載も事前に家族の承諾を得るはずだが新聞から連絡を受けた覚えはない。仮に新聞社が戸籍上の妻である佳織の確認を受けたとすればモリヤがKLM321便に搭乗していて消息を絶ったことを知られてしまった。梢としてはモリヤが来日しながら佳織に会いに行かないことを申し訳なく思いあえて知らせなかったのだ。
「職業は佛教僧になってるわね。そうなるとKLMが発表したのかァ・・・オランダの感覚なら搭乗者の個人情報は読者の知る権利の範疇だわ」梢は昼のニュースを見たが搭乗者名簿は紹介していなかった。やはりテレビ局は長期契約の固定客=購読者を確保している新聞以上に視聴者からの疑問や苦情を懼れるようだ。梢は思わず苦笑してしまった。
「外務省が動き始めたのね。流石は双木大臣だわ」次の記事には双木外務大臣がいまだに公式発表を行わないロシア政府を強く批判し、ロシア国内の外交官に情報収集を命ずるのと同時にアメリカの国務省と国防総省、NATO軍にも情報提供を求めたことが解説してあった。敗戦後の日本人は外交と社交を混同していた外交貴族の時代のイメージで外務省の「外交官」を諸外国との友好関係を担う「友好官」と誤解しているが、中曽根政権以降は欧米並みに情報収集と外交工作を主任務にしている。双木外務大臣が乗り出せば次の展開が早まるかも知れない。
  1. 2022/10/31(月) 15:44:31|
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