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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月2日・極中歌人・島秋人=中村覚の死刑が執行された。

昭和42(1967)年の11月2日に昭和35(1960)年に新潟地方裁判所の1審で死刑判決を受けて以来、短歌を詠んで雑誌や新聞の歌壇への投稿を続け、獄中歌人・島秋人として有名になっていた中村覚(さとる)死刑囚の吊首刑が小菅刑務所=現在の東京拘置所で執行されました。33歳でした。
中村死刑囚は昭和9(1934)年に現在の北朝鮮で満洲や朝鮮半島で勤務していた日本人警察官の息子として生れました。11歳の時に敗戦で帰国すると間もなく父親が公職追放になり、貧窮の中で母親が結核を発症すると病気ではなく栄養失調で死亡しました。中村死刑囚も結核やカリエス(結核菌が脊髄や臓器に感染する病気)を患っていて学業成績も悪く、周囲からは低能・不用品扱いされていました。中学卒業後は職業を転々としますが、やがて強盗殺人未遂事件を起こして同様の刑法犯罪を繰り返すようになり、警察官の息子でありながら非行少年になって特別少年院に送致されました。
さらに20歳で少年院を退院すると頭痛を理由に勤労意欲を起こさず衣食住が与えられる刑務所生活を希望するようになり、雨宿りした空き家に放火して懲役4年の判決を受けました。ところが刑務所で「ヒステリー性性格異常」と診断されて医療刑務所に移され、昭和33(1958)年10月に出所するとそのまま精神病院に入院しています。
翌年2月に精神病院を退院すると家族の下で暮らしましたが、3月になって「東京へ行きたい」と言って家出し、それからは放浪生活を送ったようです。そして4月5日に食べ物と金品を奪うために新潟県の農家に押し入ると発見した43歳の妻や駆けつけた51歳の夫と10歳代の子供2人を縛り上げて現金2000円と背広やスーツケースを奪い、口封じに夫婦を殺害しようとしましたが殴打された夫が意識を失ったため死亡したと思い込み、妻を絞殺して逃走しました。
逮捕後はまだ永山基準がなかったため昭和35(1960)年の新潟地方裁判所の1審判決では「数多くの凶悪事件の前科と長期の服役と言う前歴がある上、さらに本件を起こし、情状酌量すべき点はない」として1名の殺人でも死刑判決を下しました。続く東京高等裁判所の2審でも昭和36(1961)年に控訴棄却、最高裁判所も昭和37(1962)年に上告棄却で死刑が確定したのです。
刑務所では開高健さんの「裸の王様」を読み、絵を描くことで心を開き、童心を取り戻していく主人公に自分を重ね、中学1年の担任が美術の時間に「君は絵は下手だが構図が良い」と人生で唯一誉めてくれたことを思い出して手紙を書いたのです。すると担任の妻が自作の短歌3首を返事に同封したため松山刑務所に服役中に俳句の手ほどきを受けた経験から短歌を詠むようになりました。それからは小説新潮歌壇で佳作、毎日歌壇で入選、昭和38(1963)年には毎日歌壇賞を受賞して熱心な支持者を獲得しましたが、昭和42(1967)年10月16日に第2次田中角栄内閣の田中伊三次法務大臣が23名の死刑執行命令を決裁したため小菅刑務所では5人の順番待ちで執行されたのです。辞世は「この澄める こころ在るとは 識らず来て 刑死の明日に 迫る夜温し」でした。 
  1. 2022/11/02(水) 15:36:51|
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