「岡倉くん、間宮くんを連れてイランへ行ってもらいたい」「ロシアへの武器供与の調査ならウクライナ侵攻の時にも行きましたが」「うん、そうだったね」アメリカでは松山1佐と岡倉が帖佐将補に呼ばれていた。すると外務省の外交官が1名同席していた。岡倉が赴任してきたばかりの頃は大使館の外務省職員でさえ信用せず、会話の内容を盗聴されないように低く音楽を流していたが、加倍政権の7年間でニューヨークの非合法組織の存在も加部首相や管官房長官などの一部の関係者に認知され、外務省が公式には対応できない国際情勢の現地調査を依頼されるようになっている。しかし、あくまでも存在は非合法だ。
「そうでしたね。あの時は侵攻が予定外に長期化してロシア軍が部隊を増強するのに武器が足りないと言うことで、イラクに輸出した武器をロシアが買い戻しているのではないかと言う疑惑の実態調査でした」「結局、軍内の一部の不心得者が弾薬と燃料を売っていただけで政府や軍は関与していませんでしたが」「それを調査できたのはやはりミリタリー同士だったからでしょう」この外交官も中曽根政権による外交戦略の転換後に入省した世代なので外交官と軍人の役割分担については正しく認識している。軍人は相手が同業者=軍人でなければ信用せず、情報を渡さないのは国際常識だ。ところが敗戦後の日本政府や外務省はヨーロッパでは社交の場で高級将校に接触して話を聞き出し、発展途上国では金で軍人から情報を買う侮辱的な諜報活動に終始していた。確かに当時の外務省にとって安全保障は相手の機嫌を損なわないように気を使うことだったのでそうで十分だったのだろう。しかし、アメリカ軍は自衛隊を海外で共に活動する同盟軍にするため政府や防衛庁の官僚を通さず直接、トップクラスの自衛官に独自の情報組織の設置を提言し、この非合法組織が創設された。
「今回はKLMのロシア、シベリアへの強制着陸ですか」「流石です」外交官が主題を切り出すと岡倉が先回りした。岡倉も安全保障理事会の議事を傍聴している松山1佐から「ロシアが中国と韓国の日本への懲罰に同調する」と言う見解を聞いて以来、杉本とロシアの動静をインターネットで綿密に調査しているので、シベリア在住の一般市民の「シベリアの防空軍基地にKLMの旅客機が着陸して動く様子がない」と言う書き込み情報は注視していた。
「しかし、私の中ではロシア軍のKLMの強制着陸とイラクが結びつかないのですが」「要するに外務大臣はロシアが軍事介入するにはイラクからの武器の買い戻しが必要不可欠だと言うのですね」岡倉の疑問に松山1佐が補足すると外交官は深くなずいて身を乗り出した。
「そうです、あのKLMには47名の日本人が乗っています。ウチの大臣はロシアがこの47人を開戦時にサハリンや国後島の基地に配置して人の盾にするのではないか。下手すれば我が国を攻撃する爆撃機や輸送機に同乗させる可能性もあると懸念しておられます」「つまり日本への攻撃は間近に迫っていると言う認識なのですね」「ところでウチの大臣は何か言って来ていないのですか」今度は岡倉の理解に松山1佐が帖佐将補に向けて質問を補足した。
「ウチの大臣はマスコミの『ロシアと戦争になれば日本がウクライナのようになる』と言う反戦報道に反論できずに困り果てているようだ。大臣室に内局の官僚を呼んで意見を求めているらしいが制服組の暴走を抑える以外の回答がないらしい」「双木大臣が防衛大臣だったなら陣頭指揮を執られたんでしょうね」帖佐将補の説明に松山1佐は相槌のように同調した。双木外務大臣は軍事オタクの岩場大臣が防衛商社と防衛官僚と自衛隊の高級幹部の癒着やイージス護衛艦と漁船の衝突事故の囲み取材を受けて記者に要求されるままに謝罪して隊員の信頼を喪失して辞職した後、組織の立て直しの専門家として防衛大臣に就任している。幸い現在は外務省と防衛省が二人三脚で安全保障問題に取り組んでいるのでどちらかの席に座っていてくれれば現場としては安心できる。
「それで双木大臣はKLMをどのように取り戻すつもりなんですか」「大臣としてはオランダにはロシアに対抗する力はないと見切っておられて直接EUに交渉への参加を要望されています。さらに乗客の中に国際司法裁判所の次席検察官がいたのでこちらにも協力を求めていますが昨日拘束された機長からKLM本社に連絡が入って、次席検察官はロシア軍の事情聴取に弁護人として立ち会っているので単独での脱出と帰国は本人が拒否するだろうと言うことでした」「モリヤはロシア語が得意だから脱出してくれれば助かるんですが」「あの人ならすでに重要な情報を探り出しているんじゃあないですかね」非合法組織ではKLMが公表した搭乗者名簿でモリヤ元2佐が搭乗していたことを把握してからは本人を知っている岡倉や松山1佐が独自の諜報活動を期待するようになっている。勿論、本人は知らない。
「それでは国際刑事裁判所に本人と連絡を取らせるようにロシアへ要求させましょう」双木外務大臣の下で外務省も抜群の性能を発揮して国家安全保障に邁進していることが実感された。
- 2022/11/06(日) 15:39:27|
- 夜の連続小説9
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