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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

児童書の福音堂書店・松居直社長の逝去を悼む。

1歳になる前後に預けられていた託児所で保母さんが読み聞かす絵本を片っ端から暗記してしまって保母さんが読み間違えると即座に指摘したため「ヒョッとして字が読めるのではないか」と恐れられた野僧は当然のように大の本好きになり、小学校に入学した頃には専用の本棚に溢れるほど児童書を持っていました(近所の書店が御用聞きに来るほど)。福音堂の児童書としては昭和38(1963)年発刊の「ぐりとぐら」シリーズや昭和39(1964)年発刊の「うさこちゃん=現在のミッフィー、オランダ名はナインチェ(長崎ハウステンボスで売っていた商品名も)」シリーズ、昭和42(1967)年発刊の「だるまちゃん」シリーズ、「かさじぞう」「おおきなかぶ」「ももたろう」などの童話シリーズがギッシリ並んでいましたが、父親に似て体育会系の妹は全く読まず、遊びに来た妹の友だちが気に入ると母親が上げてしまったため手元には全く残りませんでした。
その頃になると母親は単行本を買うのではなく自分が購読している福音堂書店の童話雑誌「母の友」を読ませるようになりましたが野僧は児童用漢和・国語辞書を引きながら親向けの解説まで読むようになり、物語の裏話や作者の経歴まで詳しくなって1歳の頃と同じような目で見られるようになったのです。
それでも愚息たちは野僧が熱心に読み聞かせをした影響で本が好きになって「ぐりとぐら」シリーズや「だるまちゃん」シリーズはもう一度買い揃えましたが(福音堂は明らかにキリスト教系の社名のため事前に内容を厳密に確認しました)、小隊員が結婚して子供が生まれるとお祝いとして贈ってしまったため愚息2が保育士の資格を取る時、絵本が必要になり母親と同じ過ちを犯したことを深く反省しました。
余談ながら昭和57(1982)年から昭和58(1983)年に「母の友」に連載された「魔女の宅急便」は1989年にスタジオ・ジブリ作品になり、愚息たちも大ファンでした。ただし、野僧の黒猫好きは明石元次郎大将の影響なので関係ありません。
そんな福音堂の松居社長は大正15年=年末の1週間は昭和元年の10月に京都市で近江商人の家系の6人姉兄弟の末っ子として生まれました。京都だけに日本画を身近に見ながら洋画家だった叔父の薫陶を受けて美術的素養を養い、24歳で同志社大学を卒業する頃に自宅に下宿していた女学生(5歳年下)と恋仲になり、名古屋の出版社で勤務していて戦争で帰国した外国人牧師の資産と意思を受け継いだ女学生の父親が昭和27(1952)年に故郷の金沢市で開業・創設した福音堂書店に編集長として参加したのです。
編集長としては昭和28(1953)年に前述の「母の友」や昭和31(1956)年に「こどものとも」を創刊しましたが、まだ戦後の復興期だったので人々には雑誌を定期購読する余裕はなく、そこで当時は無名だった安野光雅さん(ふしぎなえ)、いわさきちひろさん(おにたのぼうし)、赤羽末吉さん(スーホの白い馬)、田島征三さん(とべバッタ)などを作画家に抜擢して発刊した絵本が静かなヒット作になり児童書の代表的出版社としての位置を確保したのです。その後は有名画家に絵本を描かせています。野僧はおそらく普通の人の十倍はお世話になっています。敬虔なクリスチャンなので・・・アーメン。
  1. 2022/11/06(日) 15:41:47|
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