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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ301

「モリヤくん、唐突だが貴女に勧奨退職の意向確認が届いた」陸上自衛隊教育訓練本部のモリヤ佳織将補は本部長に呼ばれて思いがけない人事予定を通告された。陸海空自衛隊では防衛出動待機命令を発令した当時の浜防衛大臣が指揮系統の混乱を避けるため健康上の理由ややむを得ない事情を申告した者以外の将官の職務を固定している。しかし、事態は本格的武力侵攻による防衛出動に発展することはなく治安出動での対処で安全は維持できている。その浜防衛大臣が激務によって健康を損なって交代した釜田大臣は再任で、前回は崇神航空幕僚長の懸賞作文問題で醜態を晒して隊員の信頼を失っていた。ところが再任後も内局の官僚に取り巻かれ、マスコミ受けを優先する有事とは思えない命令を続発していて隊員の士気は著しく低下した。それを官僚の報告で知った釜田大臣は故・加倍首相の実弟で政治信条を共有している浜大臣を敬慕している将官たちが原因と思い込み、内局から取り寄せた将官の人事記録を自分で精査したのだ。つまり記録に残らない経験や能力は考慮していない。
「私は夫がシベリアでロシア軍に拘束されている以上、軍事情報が入手できる現在の職務を離れるつもりはありません」モリヤ将補も私的事情で政治判断の将官人事に抵抗できるとは思っていないが、あまりにも唐突な通告を素直に承諾することはできなかった。
「私としても君たち夫婦が直面している事態を考えればこの時期にあえて移動させるのはあまりにも非情だと思っている。それにアメリカ軍の内情を熟知する貴女は現在の状況下では必要不可欠な人材だとも思っている。しかし、大臣は有事を前提とする特例人事を中止することを決定されたんだ」説明する本部長の口調には釜田大臣への不信と決定を誘導した内局の官僚に対する怒りが籠っていた。内局の官僚は陸上自衛隊では唯一の女性の将官であるモリヤ将補に興味を示した釜田大臣に「自衛隊の男女平等を宣伝するための広告塔」と説明し、「平時であれば旅団長を経験させて勧奨退職させる予定だった」と本人も知らない人事予定を補足した。すると釜田大臣はモリヤ将補の華々しい経歴は全て広告塔としての箔付けと理解して「広告塔にするには薹が立っている。賞味期限切れだ」と退職予定者に分類した。当然、官僚がシベリアで拘束されている国際司法裁判所のモリヤ次席検察官が夫であることを説明するはずがなく、大臣の意向を伝達された陸上幕僚監部の人事教育部長が喰い下がったが「私的事情」の一言で片づけられた。本部長は人事教育部長から怒りを引き継いでいるのだった。
「私は退官すればハワイに帰ってアメリカ国籍を取得する予定です。ハワイでは父が予備役編入後に役員として勤めていた日系人協会に採用してもらうことが決まっています。そうなるとこのまま日本が戦争に巻き込まれてもハワイから傍観するしかありません。それはあまりにも残念です」「そこまで決まっているのなら一刻も早く退官してハワイに帰るべきかも知れないな。遠からずロシアが参戦してくれば間違いなく防衛出動が発令される。そうなれば貴女の退官も延期になるだろう。ロシア軍はウクライナで地上兵力と航空戦力を消耗したが、弾道ミサイルと海軍力は中国とは比べ物にならない。緒戦で弾道ミサイルを撃ち込まれればその時点で我が国は焦土と化す。その前に日本を離れて海外で日本が戦争に巻き込まれていった真実を後世の歴史に記(しる)してくれ」思いがけない本部長の言葉にモリヤ将補は姿勢を正して握っていた拳に力を入れてしまった。本部長は着任して以来、目黒駐屯地に同居している防衛研究所に通って帝国陸海軍の戦史の資料を読み漁っている。そして国家機関である防衛研究所が事実を大量・詳細・綿密に調査・分析・評価していながら学校教育やマスコミ報道が敗戦後の東京裁判で帝国陸軍をドイツのナチスと同等の軍国主義の元凶として一方的に断罪した歴史観を脱していないことを心から怒っている。その深遠な歴史観は2等陸佐だった夫でさえ「航空幕僚長の知的レベルは防衛秘密にならないのか」と嘲笑していた崇神航空幕僚長とは次元が違う。本部長はモリヤ将補に歴史の証人になることを要望しているのだ。
「本部長のお考えは承(うけたま)りました。もう少し考えさせて下さい。失礼します」「うん、幕も回答期限は言って来ていないから納得できるまで考えてくれ。あくまでも自己判断だからね」モリヤ将補は握り締めていた拳の力を抜くと胸を反らし直して10度の敬礼をした。一緒に立ちあがって正面から見た本部長の目に迷彩服を中から押し出している豊かな乳房が飛び込んできた。釜田大臣は人事記録の生年月日だけで「薹が立った賞味期限切れ」と断定したが、少し年配の男性の目で見ても十分に魅力的だ。
「ところで旦那は『生きて虜囚の辱めを受けず』なんて言ってないよな」「いいえ、逆に国際法の専門家として自衛官に捕虜になる手本を示したいと言っていました」本部長は回れ右をして退室するモリヤ将補に妙な質問をした。現役時代のモリヤニンジン2佐は理解不能の奇人変人として有名だったので今回の事態にどう立ち向かうのか興味を持っていたらしい。
  1. 2022/11/08(火) 15:18:20|
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