小森希恵の葬儀は私が「機長から聞いた」と断った上でジュネーブ条約が規定する死者に対する宗教儀礼の実施を要求し、ドゥーフ機長が「僧侶として葬儀を依頼した」と説明すると基地内にあるロシア正教の聖堂で行われることになった。私は梢の父の葬儀に参列するために持ってきた正式な法衣に着替えて軍用車で移動し、神父の宗教士官に案内された控室で袈裟を掛けた。続いてオランダ人の搭乗員はバス、日本人の乗客はトラックで移動してきたが、最近はスウェット上下を着ているドゥーフ機長とポンぺ副操縦士、同僚の客室乗務員たちもKLMオランダ航空の制服の正装だ。聖堂の正面の祭壇の下にはキリスト教式の木製の棺が安置されていた。
「小森さん、苦しかったね。これで楽になっただろう。宗旨が判らないから浄土宗式に勤めるよ。今回は途中変更は困るな」私は棺の蓋を開けて死に顔を見ながら話しかけた。空色の制服を着て横たわっている小森希恵は数日間で目が落ちくぼみ、肌の手入れをしていなかったのか額には吹出物が出て頬もかさついている。それでも口紅だけは差していたが、首を吊ったらしく薄く開いた唇は欝血して少し腫れていた。顎の下の首筋には紐が喰い込んで痣になった赤黒い線が残っている。私は航空自衛隊時代、那覇基地の補給隊の資材倉庫で脚立から飛び降りて首を吊った知人の遺骸を下したことがある。その遺骸は骨が折れた首が異様に伸び、鼻からは鼻血と鼻水、舌を突き出した口からは涎が垂れ、支えるために抱えたズボンは大小便を漏らして濡れていた。あの悲惨な遺骸と比べればはるかに美しい。
続いて機長と副操縦士、客室乗務員が順番に別れを告げ始めると私は葬儀の準備を整えた。今回は葬儀用に香蓋に抹香を詰めてきたが香炭は2片入れてきただけだ。それでも拾ってきた木の板を盆代りにして食器に砂を敷いた香炉にライターで火を点けた香炭を置き、蓋を開けた香蓋を並べて棺の足側に置いた。その間に神父がキャンドルに点灯しておいてくれた。
「奉請十方如来 入道場 散華楽~奉請釋迦如来 入道場 散華楽~奉請弥陀如来 入道場 散華楽 奉請観音勢至 諸大菩薩 入道場 散華楽」先ずは「香偈」「三宝礼」「四奉請」から始まる。住職の資格を持たない私は葬儀の導師を勤めたことがなく、東京で僧侶見習いをしていた寺の葬儀で数回伴僧を経験しただけだ。それでも供養の想いが阿弥陀如来に届き、この聖堂にお招きできれば西方浄土にお連れいただけるはずだ。
「それでは念佛を10回唱えます。合掌して下さい」カーン、「南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛・・・南ー無阿弥陀佛 南無阿弥陀ブー」流石にロシア正教の聖堂には鐘子(けいす=佛事用鐘)はなく適当な鳴らし物も見つからなかったので神父に断ってガラスの食器と木の棒を持って来て代用した。やはり間の抜けた音だったが合図にはなった。
観経無量寿経に続いて「光明文」を唱え、声を合わせて念佛を始めると前回の十念では浄土真宗式の「ナマンダー」が混じった称名が見事に浄土宗式で統一された。すると聖堂の祭壇のキャンドルが強く光明を放ち、私の隣りに座っている神父が感嘆の声を上げた。私は北キボールの戦闘で殺害した現地人の若者3人の遺骸を運んできて並べ、夕日に向かって念佛を唱えた時も傾きかけていた太陽光が昼間のように明るくなり、集まっていた野次馬たちが怖れ慄いて拝礼したことがある。やはり佛が佛に祈れば直に通じるのだ。
「それでは順番に焼香して下さい」「帰命頂礼黒谷の円光大師の教えには人間僅か五十年、花に譬えば朝顔の、露より脆き身を持ちて、何故に後生を願わぬぞ・・・」焼香が最後になったため2片しかない香炭は燃え尽きる寸前だった。本来は職場の上司である機長から始めるべきだが私は導師と司会進行を兼ねているため英語の案内・説明を加える余裕はなく日本語で日本人の席の順に勤めさせた。それを見てオランダ人たちも作法を学んだようだ。
「請佛随縁還本国 普散香華心送佛 願佛慈心遥護念 同生相勧尽須来・・・君は今 スポット浴びたスターのように 滑走路と言うステージに 呑み込まれてゆく 君を乗せた 鳥が今翼はためかせて 赤や緑のランプを 飛び超えて行く・・・」葬儀の最後に「送佛偈」を唱えていて私の口からは無意識にさだまさしの「最終案内」の2番が流れ出た。小森希恵の世代では昭和のさだまさしのこの歌を知っているはずはないが、この歌詞はキリスト教の賛美歌、日本の佛教の御詠歌よりも客室乗務員の旅立ちには似合うはずだ。
「これで小森希恵さんの葬儀を終わります。皆さん、ご起立下さい。合掌、礼」本来はここで導師は退場するのだが、棺を運び出しにきた4人の兵士に通路を塞がれて待つことになった。
「上等兵が死んでるキエを見つけたんでしょう」「うん、制服姿にそそられて下ろした後、その場で姦らしてもらったよ。冷たいのも気持ち良かったな」すると4人は棺を重そうに持ち上げて身体の向きを変えながら許し難い事実を自白した。確かにウクライナでは屍姦された痕跡がある若い女性の遺骸を幾つも見たがヨーロッパでは意外に日常的な嗜好なのかも知れない。

クルド人民兵の遺骸
- 2022/11/15(火) 15:00:26|
- 夜の連続小説9
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