兵士たちが家具のようなキリスト教式の棺を肩に担ぐのを待って私は前に立った。左手には鐘子代りのガラスの食器、右手には木の棒を持っている。日本の風習では葬列の先頭を僧侶が手引鐘(=携帯用鐘子)を叩きながら歩き、その響きで邪気を祓うのだ。宗派によっては鼓鉢(くはつ)と呼ぶ小太鼓とシンバルも加えた合奏の行列になる。
もう1つ、私には狙いがあった。自衛隊の葬列は「半歩行進」と言って歩幅を通常の半分以下にするが外国軍でも歩調を極端に遅くするのが一般的だ。この連中が小森希恵の遺骸に敬意を払うとは思えないので半歩で前を歩いて葬列の体裁を整えたかったのだ。
カーン、カーン、カーン、カンカンカンカン・・・「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」食器を叩いたのを合図に私は念佛を唱えながら半歩行進を始めた。とは言え自衛隊の早足(徒歩)の歩幅は75センチでも坊主は2尺=60センチなのでそれほど違和感はない。
「小森さん、ありがとう」「先に日本に帰りなさい」「私たちが無事に帰れるように待っていて」聖堂の玄関前の通路では日本人たちが列を作って待っていた。ドアの外には霊柩車代りの粗末な軍用トラックが荷台を突っ込んでいて並ぶことができないようだ。監視役の下士官が困った顔をしているところを見るとそのままトラックで宿舎に向かうはずがドアのガラス越しに霊柩トラックを見てこの場所に立ち止まって当たり前のように整列してしまったらしい。
「俺たちのキエ、さようなら」「お前は好い女だったぜ」「制服、似合ってるぞ。素敵だ」「もう一度、バックから腰を掴んでやりたい」日本人が声をかけているのを聞いて兵士たちもロシア語で棺に呼びかけ始めた。これが魂魄を慰め、弔う言葉なのかは不明だが少なくとも冒涜する悪意は感じなかった。しかし、オランダの恋人には聞かせられない。
「モリヤ検察官、私たちはどうなるんですか」小森希恵の棺と兵士4人を荷台に載せたトラックが発車すると「帰るぞ。トラックに乗れ」と命じた下士官を無視して日本人の男性たちが私を取り囲んだ。殴りかかりそうな怒気を帯びた目つきだが私は敵ではない。腹に溜っている欝憤と不安が一気に噴き出して怒気を誘ったようだ。
「国際法上は明らかに違法ですが、ここではそれを告発する手立てが与えられていないから何ともなりません」男性たちも私の立場は理解しているので無力さの告白にも特に落胆することはない。やはり高い階層にある人たちはこのような事態にも冷静な判断力を維持している。
「私たちの間ではイラクのサダーム・フセインのように日本人を北方領土やサハリンの基地に配置して人の盾にするんじゃあないかって噂が流れています」「私たちがオランダに赴任する前に日本では自衛隊に敵基地攻撃能力を与えるって言う議論が起こっていましたから、それが実現していれば必要性はあるでしょう」私がオランダに赴任したのはさらに昔なのでその議論は茶山元3佐からの定期便の古新聞で読んだだけだが、潜水艦搭載型巡航ミサイルなどの「敵基地攻撃用兵器を導入した」と言う記事は載っていなかった。ただし、敵基地攻撃能力は航空自衛隊では対航空と誤訳しているカウンター・メジャーであり、違う目的で装備している空中警戒管制機=AWACSと空中給油機にFー2攻撃機を組み合わせれば実施する能力はすでに整っている。しかし、私はロシア軍がはるかに残酷な人質の使用方法を考えていることを知っていた。ロシア軍は中国の常任理事国としての懲罰を支援する名目で対日参戦する時、日本を攻撃する爆撃機や空挺部隊を降下させる輸送機に日本人を同乗させて自衛隊による迎撃を封印するつもりなのだ。この情報を事前に漏らせばダッカ日本航空機ハイジャック事件で服役囚を超法規的措置で釈放した時の福田赳夫首相の「人命は地球よりも重い」と言う公式見解を維持している日本政府は撃墜を命じることはできず、空挺部隊は落下傘で降下するまでもなく堂々と滑走路に着陸して悠々と占領できる。
「それも違法ですが現実的には暴力を恐れずに抵抗するか、人質になったら祖国のために死ぬ覚悟を決めるしかないですね。そのような事態が起きる時にはロシアと日本は戦争状態に陥っているんです。平時の人権を期待するのは無駄ですよ」「モリヤ検察官は自衛隊だったそうですから覚悟を決めているんでしょう。私は日本よりも前に妻を守らなけりゃならんのです」議論の相手の中では一番若い男性は覚悟を促す私に真顔で反論してきた。すると女性や議論に参加しなかった男性を聖堂から連れ出してトラックに載せた下士官が戻ってきて怒鳴りつけた。
「おい、いい加減にしろ。早くトラックに乗れ」「モリヤ検察官には早くオランダに帰ってもらってロシアの違法行為を告発してもらわないといけませんね。お願いしますよ」男性たちは下士官が歩み寄る前に自発的に歩き出した。その時、最も年配の男性が私だけに聞こえる声量の日本語で思いがけない依頼を呟いた。私自身は爆撃機に同乗させられれば上空で暴れて操縦桿を奪い、ロシア軍基地に突入して神風(シンプウ)特攻隊を再現するつもりだった。
- 2022/11/16(水) 14:05:10|
- 夜の連続小説9
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