fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月18日・創価学会初代会長・牧口常三郎が獄死した。

昭和18(1943)年の明日11月18日に創価学会では初代会長とされている牧口常三郎さんが改悪・治安維持法違反で拘束中の東京拘置所内で獄死しました。ちなみに創価学会では牧口さんの命日ではなく昭和5(1930)年のこの日に宗教教育論を述べた「創価教育体系」の1巻を刊行した事実を以って創立日としています。
牧口さんは明治4(1871)年に現在の新潟県柏崎市の渡辺家の長男として生まれ、6歳で親戚の牧口家の養子になったものの明治18(1885)年に尋常小学校を卒業すると職を求めて単身北海道へ渡り、小樽警察所で給仕をしながら苦学して明治24(1891)年に北海道尋常師範学校の3年に編入し、明治26(1893)年に卒業するとそのまま付属小学校の教員になり、その後は師範学校の助教授になっています。
日露戦争が終わった明治38(1905)年に師範学校を辞して上京すると東京府内の7ヶ所の小学校の校長を歴任しながら明治45年=大正元(1912)年には「郷土科研究」を刊行しました。大正5(1916)年頃から日蓮聖人に私淑するようになり、日蓮聖人の教義による世界統一「八紘一宇」や日本国体学などの過激な思想で陸軍大学校の学生に多大な影響を与え、結果的に軍国主義を扇動することになった田中智学さんの教えを受け(公明党が政権与党になるまで顕正会として防衛大学校研究課程=大学院に引き継がれていた)、そんな折、白金小学校に転勤すると近傍の白金商業学校の坊主の校長の折伏を受けて日蓮正宗に入信したのです。牧口さんの宗教観は立正安国論の「法華経に基づく人間改革を基盤に社会を変革する」を具体化して「宗教は体験する以外に判る手段はない。水泳を覚えるには水に飛び込む以外にないように宗教も勇気を出して自ら実験証明することだ」と困難を克服する実践を主張しています。
そして「創価教育学体系」1巻の刊行を機に翌・昭和6(1931)年に教職を辞すると宗教教育活動に専念して同年に「創価教育学体系」2巻を刊行すると明治36(1903)年に刊行した「人生地理学」を通じて親交を持つようになっていた新渡戸稲造さんや門徒のはずの柳田國男先生、犬養毅後の首相が参加して創価教育学支援会が設立され、念願の機関紙「新教(後の『教育改造』)」を創刊するなど大正デモクラシーの余韻の中で前途は開けているように見えたのですが、その後の日本では明治期に国民を洗脳して日清・日露戦争に勝利する基盤となった国家神道の狂気が再燃して神社への信仰・帰依が江戸時代の踏み絵化するようになり、違反者は共産革命の阻止が目的だった治安維持法が思想犯にまで拡大された改悪で特別高等警察に逮捕拘束されるようになっていきました。
牧口さんや戸田さんは昭和18(1943)年に機関紙「新教」で国家神道を批判したことで発禁処分を受けて監視対象になっていた中、日蓮正宗の本山・大石寺からの「神社のお札を受け取るように」と言う指導も拒否したため同年7月6日の伊豆下田での座談会の後に神社のお札を祀ることを拒否したことで逮捕されたのです。
牧口さんは1年4ヶ月後の昭和19(1944)年11月18日に東京拘置所内で栄養失調と衰弱で獄中死しましたが、偶然の一致なのか著書「創価教育体系」の発刊日でした。
  1. 2022/11/17(木) 14:23:10|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<続・振り向けばイエスタディ311 | ホーム | 続・振り向けばイエスタディ310>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/8047-eeb9ebfd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)