昭和27(1952)年の明日11月19日に敗戦後に津軽地方で続発していた半島人の暴動の第3弾・五所川原税務署襲撃事件が始まりました。
無謀にも対米対英戦争が始まると支那事変で既に徴兵対象者(いわゆる甲・乙種合格者)を招集し尽くしていたため身体に軍隊生活に支障がある丙種合格者や年齢期限を超えた男性にも赤紙=召集令状が届くようになりました。中でも肉体労働を専らにして栄養も十分に摂取している健康体の農夫たちは屈強な兵隊の宝庫で北海道から北陸までの穀倉地帯の男性は根こそぎ出征してしまい深刻な人手不足に陥りました。そこで政府は徴兵を行っていない朝鮮半島で工場や鉱山と同時に農業の労働力を募集し(韓国が主張するような強制連行はしていない)、多くが腹一杯食べられる農家の小作人になったのです。
ところが戦争が終わり、農家の息子たちが復員してくると小作人は不要になり、帰国しない者を温情で雇っていても報酬は減額され、不満を募らすことになりました。津軽地方にはそのような半島人が特に多く、五所川原市金木町の曹洞宗・U祥寺の住職は戦時売春婦=(いわゆる)従軍慰安婦問題で韓国の支援団体に多額の寄付をしただけでなく、請け売りを喧伝して安倍政権を批判したため文在寅大統領から感謝状を贈られています(門前に例の従軍慰安婦少女像を設置するため寄付を募っているらしい)。
この事件は昭和27(1952)年11月19日に仙台国税局が警察の協力を得て北津軽郡板柳町(当時)で半島人が経営する密造酒蔵を一斉捜査して関係者45名を酒税法違反で摘発し、妨害した半島人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した上、証拠物件として密造酒約18000リットル、酒粕約1.5トン、その他の容器約200点などを押収したため地域の半島人たちが「生活の保障」と「職の斡旋」を要求して連日、板柳地区警察署と五所川原税務署に押しかけ、11月26日には約60名が税務署内に乱入して占拠する事態に発展しました。
この地域では昭和23(1948)年6月20日に五所川原市内のグランドで開催された小学校の運動会で出店などを取り仕切る香具師が半島人に袋叩きにされた事件を切っ掛けにして6月23日の深夜に市内の遊廓で報復を話し合っていた香具師たちを棍棒で武装した半島人が襲撃したため東北地方や北海道の香具師と半島人が終結して一触即発の事態に発展しました。また同じ昭和27(1952)年2月21日に隣町の木造警察署が暴行事件を起こした半島人2名を逮捕するとその日から即時釈放を要求する抗議活動を始め、23日には約70名が警察署内への乱入を図って阻止する警察官と揉み合いになり、応援に駆けつけていた弘前警察署の所員11名が木造駅で拘束される暴動が発生しています。
この事件ではこれらの暴動の教訓が活かされていないようですが、占領下の日本では残留している半島人に日本の法律を適用するかの明確な判断が示されておらず、半島人たちが「日本に植民地にされて戦争に引き込まれた被害者」を気取って違法行為を常態化させていても警察は逮捕権限を行使できなかったため占領軍憲兵隊の出動を仰ぐしかなく、津軽に限らず多くの半島人が住む地域は無法状態に陥っていたのです。
- 2022/11/18(金) 14:42:26|
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