「深夜なのに熱心なことですね」日本人の記者たちが周りに人垣を作ったのを見て私は呆れながら声をかけた。シベリアを現地の朝に出発して半日飛行してきたから私の体感時間は就寝準備を始める頃だが、時差があるオランダでは真夜中だ。それも自衛隊が眠気と安息感で歩哨の注意力が落ちる時間帯としている「払暁(ふつぎょう)」に当たる。
「国民はシベリアに拘束されている日本人の現状¥を知りたがっているんです」「現地で一緒に体験してきたモリヤさんのお話を伺いたんです」このような出迎えを受けたのは北キボールで現地人暴徒を殺害して陸上自衛隊初の実戦を発生させたことを社人党の徳島水子弁護士に殺人罪として刑事告発されて帰国した時以来だ。あの時は成田空港の到着ロビーの柵越しだったが罵声に近かった。それに比べれば今回の口調が紳士的なのは刑事被告人=犯罪者になった自衛官と国際刑事裁判所の検察官では態度に差をつけているようだ。何にしても日本語の中に身を置くのはやはり安堵感を覚える。ただし、癒しではない。
「3K新聞ベルリン支局の村正です。モリヤさんの現地での待遇はどのようなものでしたか」「私は士官用の宿舎に隔離されて食事も運ばれていました。したがって日本人の乗客と接触したのは亡くなった客室乗務員の葬儀の後と憲兵隊に保護された夫婦と面談した時だけです。日本人用の兵舎には立ち入っていません」いきなり期待している日本人に関する情報を持っていないことを宣言されて記者たちは突き出していたスマートホンを力なく下ろした。
「A日新聞パリ支局の岡崎です。亡くなった客室乗務員、小森希恵さんは自死だったと聞いていますが原因はご存知ですか」どうやらマスコミ各社は西ヨーロッパの支社・支局から記者をかき集めているようだ。A日新聞は戦前からソビエト連邦の政治工作機関として満州事変以降の大陸戦線の拡大などに暗躍してきた。その功績でモスクワ・オリンピックでは国営放送を差し置いて系列のテレビA日が放映権を与えられている。今回もモスクワから情報を入手しているのかも知れない。つまり私を用意しているスクープの発信源にするつもりなのだろう。
「それは亡くなった客室乗務員の個人情報の暴露に当たりますから私の口からは言えません。おそらくKLMが機長の記者会見をセッティングするはずですからそこで確認して下さい」「集団レイプされて慰安婦にされていたんでしょう」「アイ・ドント・ノー(私は知らない)」ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を受けて日本がモスクワ・オリンピックをボイコットして放映権を無駄にされたような私の回答にA日新聞の記者は反応で肯定させようとした。ここで驚いたような表情を見せれば「図星」と断定され、記事では私が認めたことにされてしまう。実際、A日新聞の記者は撮影しようとスマートホンを構えていた。
「フリー・ジャーナリストの清国です。ロシアは日本を攻撃する時、爆撃機や輸送機に日本人を同乗させて自衛隊の攻撃を封印することを考えているそうですが間違いありませんか」ここでスーツにネクタイ姿の記者たちとは服装と容貌が違う男性が人垣の向こうから圧迫感がある声をかけてきた。私は機内で梢たちからのメールと留守電を確認しただけで通話はしておらず日本でどのように報道されているかは確認していない。このフリー・ジャーナリストの質問が日本で周知されているとすれば警鐘をならす意味で認めるべきかも知れないが、事は重大に過ぎて軽々しく回答はできない。そこで私は驚いた顔を作った。
「それは恐ろしい話ですね。文民を故意に戦闘に巻き込むのは重大な戦争犯罪です。ロシアが日本に対する武力行使に踏み切るのは同じ国際連合の常任理事国である中国の懲罰に同調するためでしょう。それではロシア自身が戦争犯罪国になってしまいますよ」「ロシアと中国は既成の戦時国際法は否定して自分たちの論理を新たな戦争規範にしているじゃあないですか。それも彼らには正当な戦闘手段なのではないですか。失礼しました。読捨新聞ヨーロッパ支社の粟田口です」噂を拾って探るフリー・ジャーナリストだけでなく大手の新聞社の記者まで飛びついてくるところを見るとこの憶測は口コミ=ネット上でかなり広まっている可能性がある。
「そろそろ良いでしょう。モリヤ検察官はお疲れなのです」私が吊るし上げになりそうになったところで人垣の後ろから声がかかった。それはスーツを着た在オランダ日本大使館の在外公館警備管の1等海尉だった。防衛駐在官と在外公館警備管の人事は別枠なので防衛駐在官が河瀬直道1等陸佐に替っても任期途中の交代はないのだ。
「もう1つ、日本人の乗客、特に女性たちは無事なんですか」「1人だけ無事に帰ったモリヤさんが日本国民に説明するつもりはないんですか」私が在外公館警備管の前にできた人垣が割れた通路を通って歩き始めるとそれでも記者たちは喰い下がってきた。私としては日本が直面している全面戦争の危機を絶叫したい衝動と戦っているのだが、この事態に至っても記者たち=マスコミの関心は個人の安危を超えることはないようだ。
- 2022/11/23(水) 14:42:57|
- 夜の連続小説9
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0