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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ320

「エレナ、周りから何か嫌なことを言われていないか」「ロシアとの戦争のことね。大丈夫よ」山口県下関市の海辺の山村にある栗野郵便局の屯田局員は「ロシアと開戦間近」「ロシアは日本人を人質にした」と言う噂が広まっていることに悩んでいた。実は屯田局員の妻・エレナはロシア人なのだ。2人の出会いは新人だった屯田局員が関市内の本局での見習いを終えてようやく担当区域を割り当てられた頃だった。

「これは英語じゃあないですね」「郵便番号はお前の担当区域だから何とかしろ」「梅香学院には色々な国の留学生がいるから確認してみろ」屯田局員は配達する郵便物を確認していて英語ではない文字で宛先をつづった封筒を見つけて先輩たちに相談した。すると準備を終えている先輩たちは「冷たい」と思ってしまうほど簡単にあしらって出て行ってしまった。
「何だこの文字は、英語を引っ繰り返してるじゃあないか」子供が書いたような手書きの住所を注視すると通常のアルファーベットを反転させた文字が使われていた。英語圏ではない外国人も親族や友人には「日本では英語で」と連絡しているので問題はないが、この差出人は指導を聞いていないらしい。中国人も「日本では繁字体で」と指導しているが、それは日本の旧字体になるため困惑することがある。それでも漢字の原形を留めない簡字体よりはましだ。
屯田局員は担当区域の配達を終え、郵便ポストから回収した書簡を担当者に届けると先輩たちに断って梅香学院大学に向かった。梅香学院大学は担当区域外なので寄り道をして投函されている書簡の発送を遅らせる訳にはいかなかったのだ。
「これはロシア語ですね。ロシアの留学生は各学年に2人ずつ、8人いますから・・・」「ロシア語ですか」梅香学院大学の事務室に顔を出すと「郵便物か」と思って歩み寄った小母さんの事務員は思いがけない問い合わせに難しい顔をした。それでも文字の識別くらいはできるらしく留学生の名簿を持って来てロシア人の項を開くと本人が書いた氏名と照会を始めた。まだ若い屯田局員はロシア人女性と聞いて年末の国営放送の連続ドラマ「坂の上の雲」に登場するアリアズナの美貌を思い出した。アリアズナを演じているマリナ・アレクサンドロワはこの世のモノとは思えないほど美しく「是非、一度」と願っている。以前はテニスのマリア・シャロパワだったが、こちらは抱くには手強そうだ。体力勝負になれば勝てるはずがない。
「3年のエレナ・ラチニナさんね」「自宅の住所を教えて下さい。これから届けに行きます」「今は放課中だから呼び出すわ」事務員は屯田局員の内心を見通したような返事をした。
「外国語科3年のエレナ・ラチニナさん、外国語科3年のエレナ・ラチニナさん。事務室まで来て下さい。郵便物が届いています」学内一斉放送の呼び出しを聞くと屯田局員の胸は期待で膨れ上がってしまうが、担当区域内の外国人の女性は当たり外れが大きいので熊のような巨体の女性を思い浮かべて鼓動を鎮めた。
「こんにちは」屯田局員が事務室の前で目の前を通り過ぎる女子大生を眺めながら待っていると我を忘れてしまうような美女が早足で歩み寄って声をかけてきた。挨拶は流暢な日本語だったのだが屯田局員はロシア語が理解できたような気がした。目の前に立ったエレナは眩しいような金髪を肩で切り揃え、熊どころかチーターのように引き締まった身体をしている。身長は屯田局員と大差がないのでそのままキスができる。
「私に手紙を届けて下さったそうですが」「・・・あッ、住所が読めなくて確認に来ました」エレナはボンヤリ見惚れている屯田局員に呆れながら声をかけた。気がつけば屯田局員は封筒を両手で胸の前に立てていてエレナは顔を近づけて見ていた。
「私宛で間違いありません。従妹は小学1年生だから英語が書けなかったみたい」エレナの説明に屯田局員は「親が英語で住所を書いた封筒に入れれば済む話だ」と思ったがそれは日本的な配慮であり、何よりもそのおかげでエレナに会えたのだから有り難いことだった。
「エレナさんの名前と住所をロシア語で書いてもらえませんか。そうすれば次にロシア語の手紙が届いた時、エレナさん宛かどうかは確認できます」「判りました。待って下さい」エレナは屯田局員の依頼があくまでも業務上の必要性だと理解したようで、事務室に入っていくとロシア語と片仮名で住所と氏名を書いたメモ紙を手渡した。その紙には携帯の番号も添えてある。それを見つけて屯田局員は戸惑ったが、エレナは少しはにかんだように「貴方の電話番号も教えて下さい」と口にした。色白の頬が薄っすら赤くなっているように見える。
その時、次の講義の開始を知らせるベルが鳴り、エレナは「スパシーバ(ロシア語のありがとう)」と声をかけ、慌てた様子で廊下を歩いて行った。それでも数歩に一回振り返って小さく手を振って見せた。
結局、屯田局員はエレナの講義が終わった頃に電話をかけ、携帯電話の機能で番号を交換した。どうしてエレナが屯田局員に番号を教えたのかは判らない。多分、熊に似ているからだろう。
アリアズナ・コヴァレスカヤ(坂の上の雲)アリアズナ・コヴァレスカヤを演じるマリア・アレ久サンドロワ
  1. 2022/11/27(日) 14:56:20|
  2. 夜の連続小説9
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