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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ324

「信彦、今年のお盆は帰ってこないのかい。田植えの手伝いにも来なかったじゃない」「うん、最近は通販の配達が増えて予定が立たないんだ」東京都内のホテルのダブルの部屋が予約できてエレナとの旅行が具体化してきた頃、母から電話が入った。屯田局員は下関市内の農家の長男だが、田畑は狭く祖父の代から兼業の「母ちゃん」「祖父ちゃん」「祖母ちゃん」の3ちゃん農業で、田植えや稲刈りには子供も動員されていた。それでも姉が地元の農家の男性と結婚したため日本郵便に就職して下関市の本局は配属されてからは解放されている。
「お盆に帰ってくるのが無理でもお墓と佛壇にお参りするのを忘れてはいけないよ、ご先祖さんのおかげでお前がいるんだからね。何よりも阿弥陀さんのおかげだよ」母としては田畑の手伝いよりも祖母から門徒しての躾を指導=強要されているのかも知れない。山口県でも門徒帝国の山陰地区は多くの宗派が共存している山陽地区に比べると盂蘭盆会や祖先供養が極めて手抜きで「見ていて情けない」と山陽地区から来ている本局の管理職からは馬鹿にされている。蓮如以降の浄土真宗は「念佛だけで誰でも必ず救われる」と言う教義を名目にしてユルユルの戒律や作法を売り物にしてきた。これが山陽地区のように他宗派と混在していれば少しは「弛さ」を恥じる気持ちが働いて佛教としての基本を学び、取り入れるのだが山陰地方は門徒が圧倒的多数を占めるため弛み切ったままそれが地域の常識になっているのだ。
「それじゃあ嫁さんを連れて墓参りするかな」「嫁さんって・・・彼女ができたのかい」「うん」母は自分に似た息子をテレビで見るジャニーズのような今風のイケメンとは思ってはおらず、姉と2人で嫁探しの心配していた。そこに突然の告白を受けて喜びと心配が同時に沸き起こって次の言葉が出てこなかった。
「名前は何て言うんだい」「エレナだよ」「若い子だね。どんな字を書くの」「口では説明できないよ」「やっぱり当て字の名前なんだね」屯田局員としてはロシア語の綴りが説明できなかったのだが母は「今時のキラキラ・ネームだ」と受け取った。
「それじゃあ今度の日曜日に期日指定の配達がなかったらエレナを連れて墓参りに行くから親父と一緒に待ってろよ」「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんに仁美も呼んでおくよ」「わざわざ姉貴も呼ぶのかァ・・・」相変わらずの母の過剰反応に屯田局員は困ってしまった。両親を驚かすことは楽しみだが、高齢な祖父母となるとショックで卒倒しかねない。それは同居しているので仕方ないが、姉を呼べば間違いなく義兄も付いてくるはずだ。エレナは自慢できる彼女だが、果たして屯田家側は恥ずかしくない一族なのか。幸い祖父は軍歴がなく、先祖も日露戦争に出征していないのでソビエト連邦やロシアに敵意を抱く者はいない。
「ダノンの家族に会えるの」「うん、日本では真夏に墓参りして祖先に感謝する習慣があるんだ」早速、エレナに電話をすると嬉しそうな声で快諾した。本当は冬に日本海海戦の慰霊碑巡りをした時、角島から下関市に向かう途中に菩提寺があるので立ち寄ろうと思ったのだが、その頃はエレナと何時までつき合っていられるか判らなかったので控えた。今回は婚前旅行の前にケジメをつけておこうと言う気持ちもある。
「そう言えば親の前でダノンは拙いかも知れないな。家では信彦って呼んでくれよ」「ノブヒコって難しいのよね。何度も練習してるんだけどノウヒコになっちゃうの」エレナの意外な告白に屯田局員は感激してしまった。初めて漢字の名前を見た時、織田信長と同じ字が2つあると気づいたことを説明すれば祖父母や両親は感心するだろう。姉はピンと来ない可能性が高い。
「帰ったぞ」「こんにちはエレナです」「えッ・・・」屯田家では息子の自家用車のエンジン音を聞いて両親と姉夫婦が玄関から飛び出してきた。まるで草履を履いて待っていたかのような早さだ。そんな4人は屯田局員の横に立って深々と頭を下げる日本式の挨拶をしたエレナを見て絶句と同時に固まってしまった。この挨拶は留学した時の日本の作法講習で学んだものだ。
「グッド、アフタヌーン」「エレナはロシア人だから英語じゃあないよ」「ロシア語で『こんにちは』はズドゥラーストゥイチェです」姉があらたまったつもりの英語で声をかけると屯田局員とエレナが交代で説明した。気がつけば祖父母も座敷の廊下からこちらを見ている。祖父母の方が落ち着いているのは年の功と言うものか。
「エレナさんに正座は無理だろうから食堂のテーブルにしましょう」「いいえ、大学の日本の作法講座でお茶やお花を学びましたから正座は大丈夫です」ようやく気を取り直した両親の案内で家に入ると母が気を遣った。しかし、エレナは廊下で待っている祖父母を見ながら断った。
「お祖父さん、お祖母さん、初めまして。ロシアから梅香学院大学に留学しているエレナ・ラチニナと申します」「エレナさんようこぞ。信彦の祖父母です」座敷でエレナは床の間を背に座った祖父の前に正座すると畳に両手をついて頭を下げた。実に美しい所作だった。
  1. 2022/12/01(木) 15:07:34|
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