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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ334

「やはり君たちは日本人だね。残業に抵抗がないんだ」「元々新聞社は昼間に取材して朝刊に間に合わせるように記事を書きますから勤務時間と言う概念を持ち合せていないんです」「日本との時差を考えればこれからホテルで記事をまとめて送ると向こうは早朝です」記者会見が終わると梢がアムステルダム空港に到着して1時間が経過していた。私としては冒頭に述べた私的な極めて重要な用件を諦めた迷惑を皮肉にしたのだが、思いがけず国際法と世界戦史の講座を受講することになった記者たちは何度も繰り返した「日本人の特異性」の指摘と受け取ったらしい。何にしてもヨーロッパ人とアフリカ人の事務局の職員たちは基本的に残業はしないので私が小会議室の鍵を閉めて守衛に渡さなければならない。
「スフラーフェン・ハーグ駅に着きました。市電で帰ります」「いつもの駅で待ってるよ」エレベーターで記者たちを見送り、執務室のアタッシュケースを持って階段でホールに下りると梢からメールが入った。梢には唐突に日本人記者の合同取材が入って空港へ迎えに行けなくなったことをメールしておいた。あの時間では電波が届かない大西洋の上空だったはずだがヨーロッパに接近してから読んだようだ。結局、安里の父の死に際しての予定は全てキャンセルし、梢の出迎えまでも妨害された。父の死に際は淳之介からの動画メールで知ることができたが、若い日に犯した裏切りは自分の口で謝罪しなければならなかった。葬儀も導師を勤めるつもりだったが、替わりにシベリアの小森希恵の葬儀になってしまった。小森希恵の遺骸はオランダで司法解剖されて血液から谷茶満庫に投与された漢方の媚薬と避妊薬の成分が検出され、女性器に酷使された痕跡があり、私の「慰安婦にされていた」と言う証言が確認された。私個人としては本人の名誉や同棲相手と遺族の感情を考えると封印しておきたかったが、ロシア軍の戦争犯罪を告発する上では必要不可欠であり、そこは職務に徹した。
「貴方・・・」「お父さんの元へ駈けつけられずに申し訳なかったな」国際刑事裁判所からは歩いていける距離の市電の駅で待っていると下りてきた梢は1歩手前で立ち止まった。普段であればところ構わず強く抱擁して熱い口づけを交わすところだが、父を失い弔っての帰宅なので2人とも気持ちは喪に服している。
「夕食はまだでしょう」「記者たちに国際法のイロハからロシアにソ連の戦史、日本人の特異な民族性まで講義したから今終わったばかりだよ。お前は」「私も機内食がなかったからペコペコよ」説明しながら梢が腹に手を当ててさすったので私は吹き出してしまった。
「シベリアから帰ってからは自炊していたの」「告発準備と今日みたいな飛び込み取材に振り回されてそんな余裕はなかったな。パンとマーガリンに蜂蜜を買って朝飯だけ自宅で食べていたよ」「それじゃあ食材はないのね」「朝のパンだけだ」Ⅰ型糖尿病の私は栄養管理のために自炊しなければならなかったのだが、それだけの余力がなかった。現役時代の陸上幕僚監部法務官室勤務も決して暇ではなかったが朝食のついでに弁当まで詰めていた。それは梢に甘やかされているからではなく「シベリアに残してきた日本人たちを救う」と言う重大な責任が気分と職務に余裕を与えることを許さないのだろう。
梢が不在の間、私が通っていた食堂で夕食をとって自宅に帰り、久しぶりに一緒にシャワーを浴びると梢は残っていた大豆を茹でて日本で買ってきた納豆と混ぜて保温機で自家製納豆を作る準備をした。それからソファーで土産の泡盛を飲みながらの対話を始めた。
「実は成田で佳織に会ってきたの」「そうか、帰りは成田だったね」梢は今回の沖縄への帰郷では往復ともアメリカ経由だったが往路は関西空港着、帰路は成田空港発だった。国内線から国際線に乗り換える時に一度、外に出たようだ。
「佳織からこれを預かってきたわ」梢は私の前に水割りのグラスを置くと茶封筒を手渡した。茶封筒には陸上自衛隊と言う印刷以外は何も書いていない。
「離婚届かァ・・・2枚目だな」中には緑色の線で枠を取っている離婚届が入っていた。佳織の欄は埋まっていて印鑑も実印が押してある。私にとっては美恵子に続き2枚目だ。
「ワシが書いて守山区役所に郵送すれば良いのかな。それとも日本大使館で済むのか・・・」私と佳織は美恵子との離婚届を受理されて数週間後に同じ香川県善通寺市の市役所に婚姻届を提出した。しかし、本籍は守山駐屯地に転属したのを機会に名古屋市守山区の官舎の住所に移動させ、その後は同居することがなくなったため放置している。今は日本国内に住民登録していないので本籍地が提出先になるが果たして郵送で良かったのか自信がない。
「佳織が『志織の親権はもらう』って言ったから『本人に決めさせなさい』って答えておいたわ」佳織との離婚にはあれほど慎重だった梢が今では積極的とは言わないが現実的に対応している。2人の間では私が与り知らぬ結論が出ているのかも知れない。
  1. 2022/12/11(日) 14:44:39|
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