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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ335

「このニュースは知っていたのか」「ううん、大西洋横断便の機内放送では流れていなかったわ」梢の73(水が7割、泡盛が3割)、私の55の水割りが2杯目になった頃、テレビの英語ニュースが今日の話題としてロシア軍の「日本人の爆撃機への同乗」の発表を解説し始めた。内容としては目新しいものはないが国際連合やEU、NATO軍の要人に加えて日本の石田首相の批判声明が紹介されていた。梢には市電の駅から夕食をとって帰宅するまでに新聞記者の合同取材を受けることになった理由として説明してあるが、やはり厳しい目でニュースに見入っていた。それでもロシア軍の残虐性はウクライナ侵攻で知れ渡っているのでインタビューを受けている要人たちの口調はどこか冷めている。
「佳織は退職してハワイに帰るまでの日程を決めて準備を進めていたんだけど今度のロシアの参戦で『アメリカ軍とのパイプを失うことはできない』って延期されたそうよ」「そんなことは判り切ってることじゃあないか。大体、このタイミングでアイツを退役させる理由は何なんだ」梢の説明に私は陸海空自衛隊と警察、海上保安庁の制服組が生命を賭して遂行している防衛行動を国家全体が阻害していることを痛感した。今日の記者たちも新聞の論調に関係なくロシアの参戦回避に固執していて現場の空気を肌で感じてきた私の証言にもどこか懐疑的だった。アメリカ軍との調整役として必要不可欠なモリヤ佳織陸将補を部隊運用に関与できない陸上自衛隊教育訓練研究本部に配置したまま唐突に勧奨退職させる人事も防衛大臣以下が有事態勢になっていないことの証左だ。しかし、胸に沸き起こってきたのが怒りではなく同情なのは私自身が傍観者になっているからかも知れない。
「そうなると離婚届は佳織が退役するまで保留しておいた方が良いな。アイツには制服を脱ぐまでWACたちの憧れの的の陸将補閣下でいてもらいたいからね」「それじゃあ私との婚姻届も保留しておこうね」私の言葉に梢は感情を交えず答えた。離婚を延期する理由が未練ではなく佳織の立場を守るためであることを感じ取ったようだ。この口ぶりでは梢も婚姻届を持ち帰っているような気がしてきた。それにしても美恵子との離婚から妊娠していた佳織を入籍するまでには数週間しか置かなかったが、梢とは同時に提出することになりそうだ。
「離婚届は郵送で良いのかな。大使館で受けつけてくれれば有り難いけど」「駄目よ。住民登録か本籍地の市役所に直接提出するの。代理人の提出が認められているから海外在留者は日本在住の人に依頼するみたい。弁護士が多いそうよ」「ワシは頼まれたことないな」案の定、梢の下調べは完璧だった。私も日本では弁護士として活動していたが、あくまでも陸上自衛隊の法務幹部が本業だったので部内向けに開設していた法律相談室で離婚相談は受けても実際の手続きまでは関与しなかった。
「牧野さんは佳織を知っているから頼みにくいな。市役所に出しに行くだけなら淳之介でも良いんだな。旅費を払って名古屋へ家族旅行させてやろう」「親の離婚手続きのついでの家族旅行なんて楽しくないよ。何か機会を作って私と名古屋旅行しよう」「東山動物園と明治村は恵祥といりえに見せたいんだけどな」私は言い訳のように名古屋の見どころを説明したが、梢と一緒なら岡崎と蒲郡に連れていきたい。前回、沖縄に帰ったついでに愛知県に行った時は実家に仁義を切ることが目的だったのでどこにも寄れなかった。とは言え愛知県に行けば父親の墓参に行かない訳にはいかない。それもロシアの参戦で危機が急激に拡大している現在の武力紛争が本格的な戦争に拡大しないことが前提だ。
「ところで結婚すればワシが安里ニンジンになれば良いんだよな」「そこが悩んでいるところなの。貴方が苗字を変えたい気持ちは分かっているし、これからずっと沖縄に住むのなら私と淳之介家族の姓の方が良いけれど貴方の方が改姓手続きが大変でしょう。それにモリヤニンジン弁護士としての知名度を失うのは勿体ない気がするのよ」梢は私が散々に人生を踏み躙られてきたモリヤ姓を捨てたい気持ちが判ると言ったが、本人もモリヤ梢になることを願ってきて今も変わらないはずだ。それを理由にしないのは梢の分別だろう。
「離婚が延期になったんだから結婚もそれまで保留だ。結論はそれまでに出せば良いよ」「うん、安里ニンジンさん」戦争とはかけ離れた平和で幸せな話題に結論が出たところでグラスを鳴らし、久しぶりに一緒に眠ることになった。それで私の身体は戦闘態勢にならない。
「貴方の温もりを感じればそれだけで幸せ・・・」ベッドで梢を裸にして全身を手と指、唇と舌で愛した。この麗しくも愛おしい肉体を凌辱した谷茶満庫に私は会ってしまった。実は先日、アムステルダム空港で出迎えられてから連絡を取るようになった河瀬直道防衛駐在官に「在ロシアの外交官がモスクワ郊外で発見された遺骸が谷茶満庫と言う日本人らしいと報告してきている」と教えられた。しかし、それも梢には知らせないでおこう。
  1. 2022/12/12(月) 13:10:39|
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